「狩野派」 一覧

秋田の近代日本画の礎を築いた小室怡々斎

小室怡々斎(1837-1900)は、秋田藩御用絵師の津村洞養に学び、狩野派ではあるが容斎派の前賢故実などを研究し、人物背景、調度などは粉本によらず、研究して描いていたという。廃藩後は一時役人になったが ...

藩御用絵師から初期秋田画壇の中心人物になった津村洞養

津村洞養(1834-1905)は、祖父、父と続いた秋田藩御用絵師の家に生まれ、はじめ父に学び、嘉永5年に江戸に出て、狩野洞庭、狩野洞白に学び、さらに河鍋暁斎について本格的に絵の修業し、藩御用絵師を継い ...

本荘市永泉寺山門に「天女」を描いた4人の絵師

本荘市の永泉寺山門は、本荘藩最後の藩主・六郷政鑑の時代に、永泉寺六世義門達宣の発願によって3年の歳月をかけて慶応元年に完成したもので、昭和43年に秋田県有形文化財に指定されている。山門の楼上には、本荘 ...

大地震で隆起する前の「象潟」を描いた本荘画工の始祖・牧野永昌

本荘藩御用絵師の初代である牧野永昌(1747-1823)は、秋田狩野の祖とされる狩野定信とは別系統に属する狩野派の絵師で、いわゆる本荘画工といわれる一連の画人の始祖である。はじめ藩の絵師に手ほどきを受 ...

秋田藩江戸定居の御用絵師・狩野秀水と菅原洞斎

藩政時代の秋田藩御用絵師は、秋田狩野派の祖とされる狩野定信の画系が代々つとめていたが、その系列とは別に第9代秋田藩主・佐竹義和の時、狩野秀水(不明-不明)が江戸定居の御用絵師となり、秋田の年中行事を記 ...

横手鷹の後継者・小川隆雅

横手地方には、好んで鷹を描いた「横手鷹」といわれる画家の系譜があり、小川隆雅はその後継者である。その生涯についてはよくわかっていないが、全国を放浪し、三重県で没したと伝わっている。 小川隆雅(不明-不 ...

秋田狩野の祖・狩野定信

2019/04/08   -画人伝・秋田, 狩野派

秋田で最も早く名前が出る画人は、室町時代に活躍したと伝わる雄勝郡雄勝町小野の西海杖太郎左衛門である。姓は小野寺とも称し、出羽国小野の城主で、雪舟門だったと伝わっている。ついで長谷川隆也(または片岡)が ...

旧派の重鎮として活躍した佐久間家の末流・佐久間鉄園

明治に入り、政治改革によって旧秩序は廃止され、仙台藩も宮城県として一新された。維新後も漢学の素養は重んじられたため、南画は引き続き隆盛をみせたが、その一方で、代々藩の御用絵師として狩野派の画風を伝えて ...

菊田伊徳のラクダ図

江戸時代、ラクダはゾウとならんで見世物として絶大な人気を博した動物だった。そのラクダが長崎に到着したのは文政4年(1821)のことだった。イラン産の雌雄2頭のラクダは、西国をまわってから、文政6年に大 ...

仙台四大画家のひとり・狩野派の菊田伊洲

菊田伊洲は、江戸出身の画家・武田竹亭の子として仙台に生まれ、幼いころから画才を発揮し、時期は不明だが、仙台藩御用絵師の家系・菊田東雨の養子となった。藩絵師の後継者となった伊洲は、前例にならい江戸に出て ...

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