UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

「狩野派」 一覧

狩野探幽門下四天王のひとり、会津藩御用絵師・加藤遠澤

会津藩絵師の加藤遠澤(1643-1730)は、幼いころから雪舟の画風を志し、保科正之が会津藩主になった際には茶坊主となり、藩絵師の棚木良悦に絵の手ほどきを受けた。19歳で狩野探幽に入門し、30歳の頃に ...

ドイツの化学者・ワグネルが開発した釉下彩陶器「旭焼」の絵付けをした狩野派の画家・荒木探令

現在の新庄市に生まれた荒木探令は、10歳の時に地元の絵師・菊川淵真に絵の手ほどきを受け、18歳で上京、鍛冶橋狩野家の狩野探美に師事して狩野派の画法を学び、26歳で探令の号を許された。この頃、ドイツの化 ...

山形の特産物「最上紅花」の流通の様子を描いた屏風で知られる青山永耕

2019/07/19   -画人伝・山形, 狩野派

六田村(現在の東根市)に生まれた青山永耕は、若くして上山藩御用絵師・丸野清耕に学び、のちに養子となって丸野永耕と称した。29歳の時に藩命によって江戸に出て狩野永悳に師事し、養家を離れて雪窓斎永耕と号し ...

上山藩の御用絵師・丸野清耕

丸野清耕は、村山郡楯岡町(現在の村山市)の最上山浄覚寺の三男として生まれ、幼いころから画を好み、のちに江戸に出て中橋狩野家の十四代狩野邦信の門に入り、狩野派の画法を学んだ。帰郷後は、狩野清耕と号して活 ...

江戸後期の尾花沢を代表する絵師・沼沢永朔

漆山村(現在の山形市)の設楽東玉斎とほぼ同時代に活躍した絵師に、尾花沢の沼沢永朔がいる。永朔は、若いころ江戸に出て狩野家に入門し、「狩野」の姓を許されたとされ、江戸後期の尾花沢を代表する絵師であり、4 ...

遠近法を用いて「湯殿山道中版画」を描いた狩野派の絵師・早坂義川

江戸初期から中期にかけて、山形・村山地方にはほとんど郷土画家が見当たらず、記録上最も早くこの地域で活躍した絵師は、江戸末期の安永・天明頃になって現れた狩野派の絵師・藤沢祐川である。祐川は、山形宮町両所 ...

幕末の新庄・最上画壇を活気付かせた菊川淵斎

新庄藩の絵師のうち、記録に残っている最も古い絵師は、町田雲平である。雲平はもとは米沢藩士だったが、新庄藩二代藩主・戸沢正誠に絵師として召し抱えられ、数々の名品を描いたと伝わっている。 新庄・最上地方の ...

書画をよくした代々の庄内藩主

代々の庄内藩主は、教養として画法を学び、狩野派風の作品を多く残している。藩主に絵を教えた庄内藩の絵師は、初代御用絵師の家系・三村家が三代で終わり、当時若殿だった第6代藩主忠温の相手として青山盛竺が選ば ...

庄内地方を代表する画僧・市原円潭

酒田の商家に生まれた市原円潭は、幼いころから絵に興味を示し、15歳で江戸に出て、24歳から28歳まで狩野探淵守真のもとで狩野派の画法を学んだ。その後郷里に帰り、鶴岡に居住していたところ、常念寺の依頼で ...

やまと絵や琳派のスタイルも取り入れた狩野了承

2019/07/02   -画人伝・山形, 狩野派

江戸幕府の御用絵師としての地位を得て、巨大な組織をつくりあげていった江戸狩野派は、やがて粉本主義に陥り、創造性を失っていったとされる。しかし、その歴史のなかで、江戸狩野派は幾度かの変貌を遂げ、絵師のな ...

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