UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。

「中国故事」 一覧

渡辺崋山と密接に交遊した津和野藩家老・多胡逸斎

津和野藩家老・多胡逸斎(1802-1857)は、博識で内外の情報に通じ、藩政においても手腕を発揮、天保の飢饉に際しても藩内は難を逃れたという。書画においても、多くの著名南画家たちと交遊し、名を高めた。 ...

近代絵画としての南画の再生に尽力した松林桂月

松林桂月(1876-1963)は、渡辺崋山や椿椿山の系流につながる野口幽谷に師事し、江戸期以来の崋椿系南画の系統を受け継ぎながらも、近代における南画の有り様を模索し続けた。文展開設後は、大会場に見合う ...

小田海僊と防長の門人

周防国富海に生まれた小田海僊(1785-1862)は、京都に出て四条派の松村呉春に学び、松村景文や岡本豊彦と名声を競ったが、頼山陽から絵に品格がないと指摘されたことから、学問を積み、中国の元・明の古画 ...

菅茶山・頼山陽の広島の門人

福山が誇る儒学の大成者・菅茶山は、京坂地方や江戸で与謝蕪村、池大雅ら多くの著名文人と交友し風雅の道を究めたが、その生涯の大半を郷土の神辺で過ごし、私塾などを通して地元の教育に尽力した。また、京都で名を ...

福山藩を代表する円山四条派の画人・藤井松林と門人

藤井松林(1824-1894)は、福山藩士の子として福山城下長者町に生まれ、幼ないころから画才を発揮、14歳で福山藩から絵師の加勢を仰せ付けられ、高田杏塢や吉田東里に画の手ほどきを受けた。のちに京都に ...

東京に出て学んだ岡山の日本画家

岡山の日本画家は京都で学ぶものが多かったが、伝統的絵画の革新が急速に行なわれた東京に出て学ぶものもいた。富岡永洗、鏑木清方に師事して江戸期の歴史風俗に取材した美人画を多く描いた大林千萬樹(1887-1 ...

岡山の四条派、人物の柴田義董と山水の岡本豊彦

岡山の地からは、二人の円山派の大家が出ている。当時、四条派内で「人物は義董、山水は豊彦」と謳われ、京都の人気を集めた柴田義董(1780-1819)と岡本豊彦(1773-1845)である。義董は邑久郡尻 ...

幕末の異色の南画家・藤本鉄石

藤本鉄石(1816-1863)は、備前に生まれ、25歳のときに脱藩して京都に移り住み、やがて尊皇攘夷思想に共鳴し、文久3年、天誅組を組織して総裁となり、大和で倒幕の兵を挙げ、大和十津川で戦死した。一方 ...

広重版画にも使われた『日本勝地山水奇観』の著者・淵上旭江

備前に生まれ、諸国を歴遊したのち大坂に定住した淵上旭江(1753-1816)は、各地の名勝を描いた画と詩による版画集『日本勝地山水奇観』を寛政11年に刊行した。同書はのちに歌川広重の名勝版画に利用され ...

美作津山藩の初代御用絵師・狩野洞学

美作津山藩松平家においても御用絵師は狩野派の門流だった。津山狩野家の祖とされる狩野洞学(不明-1743)は、延宝5年、津山藩松平宣富に江戸で召し出され、津山に転居、翌年には城絵図の作成などを命じられて ...

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