UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。

「中国故事」 一覧

建長寺の僧となりのちに常州水戸に住んだ長柳斎(可卜)

祥啓の門弟のひとりに、建長寺の僧となり、のちに常州水戸に住んだ長柳斎(不明-不明)がいる。最初の画史といわれる『丹青若木集』によると、祥啓とその周辺の系譜のなかで、可卜(長柳斎)と性安の名があげられて ...

遠藤香村に師事し、晩年は東京で活動した渡辺東郊

渡辺東郊(1848-不明)は、会津若松城下屋敷町に生まれた。祖父光蔵は、武をもってきこえ、特に柔術をよくし、屋敷内に修練所を設けて多くの青年を薫陶していた。しかし、東郊は、生来虚弱体質で、少年の頃は刀 ...

和歌もよくした四条派の星暁村

星暁村は、会津若松城下の城郭外、当時の下町にあたる融通寺町の商家に生まれた。文雅を好み、商売は好まず、幼くして遠藤香村の門に入り、30余年にわたって香村のもとで四条派の技法を学んだ。この間、仙台の松島 ...

会津を離れ彦根藩御用絵師となった佐竹永海

佐竹永海(1803-1874)は、会津藩の御用もつとめていた蒔絵師の家に生まれた。幼いころから地元の狩野派の絵師・萩原盤山に絵を学び、師から一字を得て「盤玉」と号した。その後、18歳、または20歳の頃 ...

豪放で酒を好み、「朝寝朝酒朝湯が大好き」な小原庄助さんのモデルと伝えられる会津塗師久五郎の面倒をみた町絵師・蒲生羅漢

白河の郷土絵師・蒲生羅漢(1784-1866)は、天明4年に白河に生まれた。この年は松平定信が白河藩主についた年で、その後定信の強い影響下で白河の近世画壇は一気に花開いていく。定信は才覚があれば一介の ...

白雲、巨野泉祐同様に松平定信に見出されて谷文晁の門に入り、師譲りの幅広い画域の作品を手掛けた白河藩絵師・星野文良

白河藩絵師・星野文良(1798-1846)は、16歳の時に江戸詰めとなり、八丁堀の白河藩邸に住み、藩主・松平定信の命を受けて谷文晁の門に入った。享和3年には、近江石山寺に伝わる「石山寺縁起絵巻」の補完 ...

長崎南画を源流に持つ寒河江の日本画家

明治期の寒河江地方の日本画家の源流をたどると、長崎南画の鉄翁祖門に行きつく画系がある。その始まりは、小泉の長泉寺十一世住職の土田鉄船(1812-1879)で、長崎まで行って鉄翁に南画を学んでいる。その ...

江戸後期の尾花沢を代表する絵師・沼沢永朔

漆山村(現在の山形市)の設楽東玉斎とほぼ同時代に活躍した絵師に、尾花沢の沼沢永朔がいる。永朔は、若いころ江戸に出て狩野家に入門し、「狩野」の姓を許されたとされ、江戸後期の尾花沢を代表する絵師であり、4 ...

幕末の新庄・最上画壇を活気付かせた菊川淵斎

新庄藩の絵師のうち、記録に残っている最も古い絵師は、町田雲平である。雲平はもとは米沢藩士だったが、新庄藩二代藩主・戸沢正誠に絵師として召し抱えられ、数々の名品を描いたと伝わっている。 新庄・最上地方の ...

庄内地方の南画家

庄内藩では、藩の絵師のほかに絵をたしなむ藩士が多かった。石井子龍は、絵を同藩の氏家龍渓に学び、のちに藩医で書家でもあった重田道樹に学んだ。生涯酒を好んで奇行が多かったとされ、金峯山麓の渓流の上に庵を結 ...

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