中国故事

会津を離れ彦根藩御用絵師となった佐竹永海

2023/8/9  

佐竹永海「孔明三顧図」 佐竹永海(1803-1874)は、会津藩の御用もつとめていた蒔絵師の家に生まれた。幼いころから地元の狩野派の絵師・萩原盤山に絵を学び、師から一字を得て「盤玉」と号した。その後、 ...

豪放で酒を好み、「朝寝朝酒朝湯が大好き」な小原庄助さんのモデルと伝えられる会津塗師久五郎の面倒をみた町絵師・蒲生羅漢

2021/7/6  

蒲生羅漢 左:「八仙図」、右:「蘭亭曲水図」 白河の郷土絵師・蒲生羅漢(1784-1866)は、天明4年に白河に生まれた。この年は松平定信が白河藩主についた年で、その後定信の強い影響下で白河の近世画壇 ...

白雲、巨野泉祐同様に松平定信に見出されて谷文晁の門に入り、師譲りの幅広い画域の作品を手掛けた白河藩絵師・星野文良

2021/7/6  

星野文良 左:「林和靖」、右:「花鳥図」 白河藩絵師・星野文良(1798-1846)は、16歳の時に江戸詰めとなり、八丁堀の白河藩邸に住み、藩主・松平定信の命を受けて谷文晁の門に入った。享和3年には、 ...

長崎南画を源流に持つ寒河江の日本画家

2021/7/6  

阿部曽岳「羅浮仙図」 明治期の寒河江地方の日本画家の源流をたどると、長崎南画の鉄翁祖門に行きつく画系がある。その始まりは、小泉の長泉寺十一世住職の土田鉄船(1812-1879)で、長崎まで行って鉄翁に ...

江戸後期の尾花沢を代表する絵師・沼沢永朔

2021/7/6  

左:沼沢永朔「大舜図」絵馬(天童市若松寺観音堂蔵)右:狩野永清「桜花の図」屏風(右隻部分)(山形市わらべの里資料館蔵) 漆山村(現在の山形市)の設楽東玉斎とほぼ同時代に活躍した絵師に、尾花沢の沼沢永朔 ...

幕末の新庄・最上画壇を活気付かせた菊川淵斎

2021/7/6  

菊川淵斎「孔清公天帝に沓を捧げる図」(部分) 新庄藩の絵師のうち、記録に残っている最も古い絵師は、町田雲平である。雲平はもとは米沢藩士だったが、新庄藩二代藩主・戸沢正誠に絵師として召し抱えられ、数々の ...

庄内地方の南画家

2021/7/6  

左:伊東梅月「蓬莱之図」、右:佐藤梅宇「孔子像」 庄内藩では、藩の絵師のほかに絵をたしなむ藩士が多かった。石井子龍は、絵を同藩の氏家龍渓に学び、のちに藩医で書家でもあった重田道樹に学んだ。生涯酒を好ん ...

書画をよくした代々の庄内藩主

2021/7/6  

酒井忠発「琴高・乗鶴仙人図」 代々の庄内藩主は、教養として画法を学び、狩野派風の作品を多く残している。藩主に絵を教えた庄内藩の絵師は、初代御用絵師の家系・三村家が三代で終わり、当時若殿だった第6代藩主 ...

庄内藩の御用絵師・三村常和

2021/7/6  

左:三村常和(初代)「神農像」右:三村常和(2代)「赤壁図」 元和8年、酒井忠勝が信州松代から庄内に入部し、鶴ケ岡城を居城と定められて以来、城内は着々と整備されていったが、本丸の建物が完成するのは30 ...

目賀多雲川守息に学び人物花鳥の名手として名を馳せた小田切寒松軒

2021/7/6  

小田切寒松軒「草蘆三顧図」三面(部分)『三国志』のなかで、劉備が関羽、張飛を引き連れて諸葛孔明の庵を3度訪れ、礼を尽くして軍師として迎え入れたという「三顧の礼」の由来となった場面を描いている。 江戸時 ...




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