中国故事

終生日本画の近代化に尽くした寺崎広業

2023/9/28  

寺崎広業「美人読書図」 秋田に生まれた寺崎広業(1866-1919)は、はじめ郷里の狩野派・小室怡々斎に師事し、ついで角館出身で東京に出ていた四条派の平福穂庵の勧めで上京し穂庵に師事、穂庵の帰郷後も東 ...

藩御用絵師から初期秋田画壇の中心人物になった津村洞養

2021/7/6  

津村洞養「司馬温公」 津村洞養(1834-1905)は、祖父、父と続いた秋田藩御用絵師の家に生まれ、はじめ父に学び、嘉永5年に江戸に出て、狩野洞庭、狩野洞白に学び、さらに河鍋暁斎について本格的に絵の修 ...

本荘市永泉寺山門に「天女」を描いた4人の絵師

2021/7/6  

上:牧野雪僊「鼓飛天図」、2番目:増田象江「太鼓飛天図」、3番目:阿部永暉「持蓮華飛天図」、下:鈴木梅山「散華飛天図」 本荘市の永泉寺山門は、本荘藩最後の藩主・六郷政鑑の時代に、永泉寺六世義門達宣の発 ...

秋田蘭画の画家たち

2021/7/6  

左:藤氏憲承「円窓美人図」、右:太田洞玉「蝦蟇仙人図」 秋田蘭画の画家としては、平賀源内に西洋画法を伝授された小田野直武と、直武から画法を学んだ秋田藩主・佐竹曙山を中心に、直武のよき理解者だった角館城 ...

平賀源内から直接西洋画法を学んだとされる田代忠国

2021/7/6  

三聖人図 田代忠国 秋田の俳人・森田顕忠の子として生まれた田代忠国は、秋田藩士・田代網紀の養子となり、産物方として佐竹曙山、義和の二代の秋田藩主に仕えた。洋学に通じ、直臣としてよく仕えたので、曙山から ...

仙台藩御用絵師から学者に転身した佐久間洞巌

2021/7/6  

佐久間洞巌「東坡汲水図」 仙台藩御用絵師を代々つとめていた佐久間家の四代目・佐久間洞巌は、元禄4年1月に仙台城二の丸の奥方造営に参加し、御用絵師として順調なスタートを切ったかにみえたが、前年に従者を無 ...

菅原竹侶の門人・佐藤耕雲

2021/7/6  

佐藤耕雲「韓信堪忍之図」 佐藤耕雲(1854-1920)は、菅原竹侶に師事し、入門2年余りにして水沢近郷宅の襖絵を描くほどに上達したという。しばらく水沢地方で絵事に従事し、その間、内国絵画共進会では褒 ...

花巻三画人のひとり・八重樫豊澤

2021/7/6  

八重樫豊澤「豊干禅師図」 小野寺周徳(1759-1814)、橋本雪蕉(1802-1877)とともに「花巻の三画人」に数えられる八重樫豊澤(1763-1842)は、花巻の寺小屋師匠の家に生まれた。父の善 ...

花巻の画業隆盛の礎を築いた小野寺周徳

2021/7/6  

小野寺周徳「桃仙人図」 盛岡についで繁栄した花巻では、画業も盛んであり、その礎を築いたのは小野寺周徳(1759-1814)とされる。花巻の医師の家に生まれた周徳は、江戸に出て医学の修業中に谷文晁に学ん ...

盛岡藩の文人画の先駆け・田鎖鶴立斎と本堂蘭室

2021/7/6  

左:田鎖鶴立斎「賓度羅跋囉情闍尊者図」右:本堂蘭室「賓度羅跋囉情闍尊者図」 盛岡藩では、江戸中期以降、狩野派に属さない絵師たちが、江戸や京都で芽生えた新しい画風を学び、帰郷後は藩内でも制作するようにな ...




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