UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。

「中国故事」 一覧

備前岡山藩の狩野派

備前岡山藩の御用絵師は、狩野三徳、狩野自得、長谷川常時の狩野派三家が代々つとめていたされるが、狩野守則、長谷川常時、長谷川常宇らの作品が少数残っているのが確認される程度で、伝わる資料も少ない。それに対 ...

武人画家・宮本武蔵

二刀流の剣豪として名高い宮本武蔵(1584-1645)も岡山ゆかりの画人である。「二天」と号して画筆をとり、個性豊かな作品を残している。出生地は美作説のほかに播磨説もあるが、近年の研究によると、播磨に ...

室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

京都に出て浦上春琴らに学んだ讃岐の南画家

京都に出て学んだ讃岐の南画家としては、浦上春琴に学び高弟となった小西松塢をはじめ、春琴門からは、松岡李堂、木村葭郷らが出た。また、田能村竹田に学んだ合葉文山、田能村直入に学び、のちに池田桂仙、河野秋邨 ...

春木南湖と讃岐の門人

谷文晁(1763-1840)と並び、「天下の二老」と称された春木南湖(1759-1839)は、伊勢国長島藩主・増山雪斎に抱えられ、その援助で京都、大坂、長崎に遊学しており、その折に讃岐に足を運んだもの ...

狩野派の画僧・實山と高松藩の文人大名

讃岐を代表する画僧・實山も狩野派の画人である。實山は江戸の人で、狩野家の養子となったが、のちに実子が生まれたために僧となり、享保年間は高松の見性寺で住職をつとめ、隠居して自性庵に住んだ。『讃岐国名勝図 ...

江戸木挽町狩野と伊予大洲藩の文人大名

江戸時代も中頃を過ぎると、伊予の各藩では常任の絵師をおくことが一般化し、藩主自らが絵筆を握る文人大名も現れるようになった。大洲藩三代藩主・加藤泰恒は、江戸木挽町狩野二代・狩野養朴常信の門に入り、「泰常 ...

土佐の印聖・壬生水石と高松小埜

壬生水石(1790-1871)は、寛政2年城下唐人町に生まれ、大坂や江戸で兵学、儒学などを学び、天保3年には与力職になった。篆刻を本格的に学び全国にその名が知られ、「土佐の印聖」と称された。また、書画 ...

土佐南画の流れ、楠瀬南溟から松村蘭台へ

中山高陽亡き後の土佐の南画は、大坂に出て木村兼葭堂、福原五岳ら池大雅系の文人たちと交流した楠瀬南溟(1743-1790)にはじまり、門人の松村蘭台、子の楠瀬大枝らがその流れを引き継いだ。松村蘭台は楠瀬 ...

近世土佐を代表する南画家・中山高陽と土佐の門人

近世土佐を代表する南画家として中山高陽(1717-1780)がいる。高陽は日本南画の草創期、京都で彭城百川に画を学んだのち、42歳の時に狩野派が全盛を誇る江戸に出て、詩書画の世界に独自の境地を切り開き ...

Copyright© UAG美術家研究所 , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.