「画人伝・高知」 一覧

描かれた坂本龍馬、膨大な数の龍馬像を残した公文菊僊

坂本龍馬のブームはたびたび起こっているが、最初の大きなブームは、自由民権運動期の明治16年、坂崎紫瀾が坂本龍馬を主人公にした小説「汗血千里駒」を土陽新聞に連載したことにはじまる。第2次ブームは、明治3 ...

土佐美術協会、土陽美術会の発足

西欧絵画が広まるなか、明治初期の高知の日本画は、徳弘董斎、河田小龍、種田豊水、名草逸峰らがそれぞれ後進の指導にあたっていた。そしてその流れが、土佐美術協会、土陽美術会の活動へと受け継がれていく。明治2 ...

洋画の黎明期、国沢新九郎の出現

幕末から明治期にかけては全国的に西欧絵画が広がっていき、高知においては、国沢新九郎(1848-1877)が西欧絵画の先駆者として登場する。国沢は、高知城下の藩士の長男として生まれ、明治2年に坂本龍馬の ...

画人としても早逝を惜しまれた武市瑞山と勤王の志士

幕末から明治維新期には新しい日本を目指した勤王の志士たちが多く登場した。彼らは学術、武術を学ぶとともに多くの書画を残している。土佐勤王党の盟主だった武市瑞山(1829-1865)は、徳弘董斎に南画を学 ...

幕末から明治前期にかけての土佐を代表する画人・河田小龍と門人

河田小龍(1824-1898)は、様々な絵画様式や技法を会得して南北合流の画人と呼ばれた。知識人としても広く活躍し、アメリカから帰国したジョン万次郎の取り調べに立ち会い、万次郎の異国での体験を『漂巽紀 ...

土佐に来て影響を与えた画人、種田豊水と名草逸峰

土佐の人ではないが、幕末から明治にかけて土佐に来て影響を与えた画人に、種田豊水と名草逸峰がいる。種田豊水は長門国(現在の山口県)に生まれ、小田海僊に学び旅絵師となり、蒔絵を土佐に伝えた。華やかな花鳥画 ...

土佐の印聖・壬生水石と高松小埜

壬生水石(1790-1871)は、寛政2年城下唐人町に生まれ、大坂や江戸で兵学、儒学などを学び、天保3年には与力職になった。篆刻を本格的に学び全国にその名が知られ、「土佐の印聖」と称された。また、書画 ...

竹原没後の土佐画壇を支えた橋本小霞と門人

橋本小霞(1813-1879)は土佐藩徒士の家に生まれ、父の跡を継いで徒士となり、藩主の参勤に従ってたびたび江戸に上がった。江戸では徳弘董斎と同じく春木南湖に学び、蘭竹画を得意とした。楠瀬大枝のもとで ...

龍馬に砲術を教えた南画家・徳弘董斎と門人

徳弘董斎(1807-1881)は、御持筒で南画をよくした徳弘石門(1777-1825)の長男として生まれ、土佐藩に西洋流砲術をもたらした。龍馬や龍馬の兄・権平ら多くの門人に砲術を教えている。父の影響で ...

土佐南画三名家のひとり・古屋竹原と門人

楠瀬大枝門下で、徳弘董斎、橋本小霞とともに南画の三名家と謳われた古屋竹原は、文政から天保にかけて土佐の南画家の中心的存在だった。当時の須崎では、南画をもって聞こえた医者の古屋竹原に、書家の下元西洲と僧 ...

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