南画・文人画家

近世日本の篆刻界で「印聖」と称された高芙蓉

2021/4/19  

高芙蓉「静釣図」山梨県立美術館蔵 日本の篆刻は、明王朝滅亡に際して中国から亡命した黄檗禅僧によってもたらされ、17世紀中期以後に長崎に渡来した独立性易、東皐心越を祖に形成されたとされる。装飾的な技巧を ...

日本南画の先駆者のひとり・柳沢淇園

2021/4/16  

柳沢淇園「睡童子図」 大和郡山藩で柳沢吉里・伊信の二代に任えた柳沢淇園(1703-1758)は、早熟多才で、なかでも画才に恵まれ、8、9歳頃から狩野派を学んでいたが、12、3歳の時には狩野派を骨髄を得 ...

小室翠雲に学んだ上州の南画家

2021/2/2  

岡田晴峰「仙山瑤濤」 日本南画院の創立に参加するなど南画の普及につとめた小室翠雲は、明治36年、自宅に私塾「環堵画塾」を開設し、門人を集めて南画の技法を教えた。同塾解散後の昭和15年には、新旧門下生を ...

南画から写実を経て魚類画に新境地を拓いた岸浪百艸居

2021/1/30  

岸浪百艸居「岩と流れ(俯瞰構図)」 南画家・岸浪柳渓の二男として館林に生まれた岸浪百艸居(1889-1952)は、3歳の時に両親の離婚により父柳渓とともに金沢に移り住んだ。金沢では伯母夫妻に預けられて ...

田崎草雲に学び伝統的南画を描いた岸浪柳渓

2021/1/28  

岸浪柳渓「陶淵明帰去来・弾琴図」 岸浪柳渓(1855-1935)は、仙台藩士の医師・岩浪広盟(謙輔)の三男として、江戸下谷に生まれた。幼いころ、風疹と麻疹のため聴力を失った。10歳の時から5年間を仙台 ...

日本南画院創立に加わるなど南画復興に尽力した小室翠雲

2021/1/26  

左:小室翠雲「寒林幽居」宮内庁三の丸尚蔵館蔵右:小室翠雲「谿山清暁」 小室翠雲(1874-1945)は、館林町(現在の群馬県館林市)の呉服商の家に生まれた。館林藩御用達商人をつとめていた小室家から分家 ...

吉川英治に最後の南画人と称された新井洞巌

2021/1/22  

新井洞巌(1866-1948)は、群馬県吾妻郡原町(現在の吾妻町)の刀研ぎの家に生まれた。はじめ長井雲坪、四谷延陵に学び、19歳の時に伊香保温泉に逗留中の菅原白龍を訪ねて入門を直訴、許可を得て上京し本 ...

農閑期に信州渋温泉に通い児玉果亭に師事した青柳琴僊

2021/1/20  

青柳琴僊「十六羅漢図」嶽林寺蔵 青柳琴僊(1867-1962)は、月夜野(現在の群馬県利根郡みなかみ町)の農家の長男として生まれた。6歳頃から父について読書、算術を学び、10歳頃から絵を描きはじめ、1 ...

郷土画家として多くの後進を育てた青木翠山と利根沼田の門人

2021/1/16  

青木翠山「山水図」 青木翠山(1842-1896)は、沼田藩士の長男として、利根郡沼田(現在の群馬県沼田市西原新町)に生まれた。幼いころから平等寺の住職・井上無蓋に絵を学び、紙凧や羽子板に絵を描いて家 ...

群馬師範学校の生徒実習に鉛筆画を導入した武居梅坡

2021/1/14  

武居梅坡「雲龍図」大雲寺蔵 武居梅坡(1831-1905)は、高崎新田町に生まれた。幼いころから画を好み、6歳のころには草双紙などの挿絵を模写することを娯しみとしていたという。12歳の時に高崎藩士で南 ...




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