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丁寧な筆致の繊細な山水画を多く描いた日根対山
2024/11/6
日根対山「黄山避暑図」 日根対山(1813-1869)は、和泉国日根郡中庄村湊(現在の泉佐野市湊)に生まれ、はじめ岸和田の画人・桃田栄雲に画を学んだ。また、地元湊の豪商・里井浮丘(1799-1866) ...
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紀州の野呂介石に学び大雅風を描いた画僧少林
2024/11/4
少林「青緑山水図」 少林(不明-1835)は、大坂の北中島小松村久昌院の住持で「少林山人」とも呼ばれた。紀州の野呂介石に画を学び、介石を通じて池大雅風の南画を学んだと思われる。詳しい経歴は不明だが、文 ...
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重層的な岩肌をみせる高峰を好んで描いた金子雪操
2024/11/1
金子雪操「春秋山水図」 文政中頃から天保にかけての大坂南画壇は、文政7年版『浪加華人物誌』、天保8年版『浪華郷友録』によると、岡熊嶽・琴嶽父子、藤九鸞、森川竹窓、岡田半江、菅井梅関、木村石居、僧愛石、 ...
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父米山人同様に晩年に多くの傑作を生んだ岡田半江
2024/10/30
岡田半江「米法山水図巻」(部分) 岡田半江(1782-1846)は、岡田米山人の子として生まれ、幼いころから父に画の手ほどきを受け、はじめ小米と号したが22歳頃に半江と改めた。28歳頃には父同様に津の ...
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大坂南画壇最盛期に指導的役割を果たした岡田米山人
2024/10/28
岡田米山人「含翠堂図」 天明・寛政期の大坂南画壇は、福原五岳、木村蒹葭堂を中核として若手の画人たちが多数出現した。寛政2年版『浪華郷友録』によると、この頃の南画家としては、岡田米山人をはじめ、福原五岳 ...
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伊勢長島藩に招かれ藩校文礼館を再興した十時梅厓
2024/10/25
十時梅厓「山水図屏風」東京国立博物館 十時梅厓(1749-1804)は、漢学を伊藤東所に、書法を大谷永庵と趙陶斎に、和歌を小沢蘆庵に学び、唐様の書や山水・四君子を得意とした。天明4年頃、陶斎との縁で知 ...
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多年戸を閉ざし古画を模写して一家を成した鼎春嶽
2024/10/23
鼎春嶽「煙霞山水図」 鼎春嶽(1766-1811)は、福原五岳について画を学び、のちに諸流の画法を研究し、多年戸を閉ざして諸家秘蔵の書画を模写して一家を成したという。田能村竹田は『山中人饒舌』と『竹田 ...
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明画に学び幅の広い奇矯な作画活動を展開した林閬苑
2024/10/18
林閬苑 左から「蹊橋飛瀑図 那波網川賛」「中国人物図」「瀧山水図」 林閬苑(不明-不明)は、福原五岳に学び、さらに堺の豪商宅の明画を臨摸し、写実的でプリミティブな独自の画風を確立したとされる。長崎派風 ...
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医業のかたわら福原五岳に画を学んだ浜田杏堂
2024/10/16
浜田杏堂「山水図」 浜田杏堂(1766-1814)は、幼くして大坂の医師浜田家の養子となり医業を継いだ。一方で早くから画を好み、福原五岳に師事するとともに元明の山水画や花鳥画を学んで一家を成し、山水花 ...
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大坂における南画壇隆昌の先鞭をつけた福原五岳
2024/10/9
福原五岳「洞爺湖図」 福原五岳(1730-1799)は、備後国尾道(現在の広島県尾道市)に生まれ、京都に出て池大雅に学び、大雅随一の弟子と評された。その後大坂に移り大雅風を広め、大坂の南画壇隆昌の先鞭 ...