画家略歴

茨城(8)-ネット検索で出てこない画家

高野天民 たかの・てんみん
明治27年生まれ。名は秀夫、別号に恒山、玉州がある。上京して滝和亭につき南画を学び、のちに古沢雪田の門人となった。郡司硯田は天民の高弟。昭和57年、89歳で死去した。

竹内柳蛙 たけうち・りゅうあ
猿島郡境町の人。名は茂。河鍋暁斎の画風を慕い、門人の真野亭に学んだ。

力石遷交 ちからいし・せんこう
水戸藩士。通称は勘五郎。花鳥人物をよくした。

辻玄順 つじ・げんじゅん
享和3年生まれ。名は安正、号は湖堂。土浦藩医の家に生まれ、紀州和歌山藩医・華岡青州の門に学び、抜擢されて塾頭になった。明治13年、78歳で死去した。

塚本万之助 つかもと・まんのすけ
現河内村平川の人。号は萍川知新。鈴木鵞古に学び、東山、北陸を周遊した。小野蓬善寺に作品が残っている。大正14年頃死去。

塚本雪湖 つかもと・せつこ
明治3年生まれ。東茨城郡稲荷村の人。名は亮、通称は亥之次郎。松平雪江に学び、のちに高久隆古を慕い、人物画をよくした。昭和8年、64歳で死去した。

坪井上之丞 つぼい・うえのじょう
明治22年生まれ。岩瀬町本郷の人。若年より絵を好み、玉水と称した。中年に至って木村武山に師事し、号をム一とした。俳人でもあり翠泉と号した。昭和50年、87歳で死去した。

寺山静峰 てらやま・せいほう
那珂郡戸田村の人。明治・大正期の四条派の画家で《軍鶏と芭蕉》などの作品が残っている。

等本 とうほん
永正年間の常陸国出身の画僧。画法は雪舟、周文の流れをくみ、花鳥をよくした。作品は扇面が多く、関東・東北地方にみられる。

富田呉舟 とみた・ごしゅう
水戸の人。松平雪山の門人。花鳥を得意とした。

戸祭友古 とまつり・りゅうこ
文政11年生まれ。名は為之介。椿椿山の門人で花鳥をよくした。また人見淇堂について画法を研究した。明治2年、42歳で死去した。

豊田笠州 とよだ・りゅうしゅう
明治7年生まれ。水戸市馬口労町の人。別号に静観などがある。はじめ松平雪江に学び、のちに上京して松本楓湖に師事した。

富永雪旦 とみなが・せったん
明治9年生まれ。名は榮松。はじめ松平雪江に学び、上京して望月玉泉に師事した。明治44年第6回美術展覧会に《西山穏栖》を出品。大正2年、38歳で死去した。

茨城(8)-ネット検索で出てこない画家

文献:茨城の古書画人名事典




-画家略歴

© 2024 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5

Amazon プライム対象