人物画

タケ・サトーとして英国画壇で名を馳せた佐藤武造

2022/2/9  

佐藤武造「アイラ・サンダム」 長野県下高井郡瑞穂村(現在の飯山市)に生まれた佐藤武造(1891-1972)は、中学時代に丸山晩霞らが講師をしていた水彩画夏期講習会に参加して認められ、中学卒業後に画家を ...

官展を離れ第一美術協会の発展に寄与した神津港人

2022/2/7  

神津港人「凩(こがらし)」 神津港人(1889-1978)は、北佐久郡志賀村(現在の佐久市)に生まれた。16歳の時に、小諸義塾を開いていた丸山晩霞のもとで半年間指導を受け、その後上京して東京美術学校西 ...

日本に本格的にフォーヴィスムを移入した中川紀元

2022/1/28  

中川紀元「人形を抱く娘」 中川紀元(1892-1972)は、上伊那郡朝日村(現在の辰野町)に生まれた。旧制諏訪中学(現在の諏訪清陵高校)卒業後は東京美術学校彫刻科に進学したが、半年で中退。のちに太平洋 ...

夭折の詩人画家・村山槐多

2023/9/28  

村山槐多「バラと少女」東京国立近代美術館蔵 神奈川県横浜市に生まれた村山槐多(1896-1919)は、教師だった父親の赴任に伴って小、中学時代を京都で送った。京都府立第一中学校(現在の洛北高校)在学中 ...

農民美術運動や児童自由画教育運動、創作版画の普及など多くの功績を残した山本鼎

2023/9/28  

山本鼎「ブルトンヌ」 山本鼎(1882-1946)は、版画家としては自画・自刻・自摺による「創作版画」を提唱して「日本創作版画協会」を創立、洋画家としては小杉未醒(放庵)、中川一政らと「春陽会」を創立 ...

台湾の美術振興につとめた郷原古統と木下静涯

2021/12/11  

郷原古統「海裳」(二曲一双のうち左隻) 日本統治時代(1895~1945)の台湾には、教育者として渡った信州人も多く、昭和2年(1927)に創設された台湾美術展では池上秀畝や矢沢弦月らが審査員をつとめ ...

京都画壇で契月様式の人物画を確立した菊池契月

2023/9/28  

菊池契月「立女」長野県立美術館蔵 菊池契月(1879-1955)は、下高井郡中野町(現在の中野市)に生まれた。小学校の同級生に、後にともに画家を目指すことになる町田曲江と金井一章がいた。3人とも比較的 ...

書でも人気を博した黎明期の洋画家・中村不折

2021/11/1  

中村不折「卞和璞を抱いて泣く」 中村不折(1866-1943)は、江戸京橋に生まれ、5歳の時に維新の混乱を避けて両親の故郷である信州高遠に移り住んだ。信州での生活は貧しく、小学校を中退して商家に奉公に ...

飯田藩主堀家のお抱え絵師・島高麿

2021/9/20  

左:島高麿「高砂尉姥図」、右:島高麿「人物像」 島高麿(1791-1871)は、伊那郡南山村(現在の泰阜村)に生まれた。飯田藩主堀家のお抱え絵師として国詰で飯田城につとめ、日常は、城中の障壁画の新規画 ...

近世の信州を代表する画人・佐竹蓬平と鈴木芙蓉

2021/8/28  

左:佐竹蓬平「伯牙弾琴図」 右:「伯牙絶弦図」 佐竹蓬平(1750-1807)と鈴木芙蓉(1749or1752-1816)は、ともに飯田の近郊・伊賀良の里に生まれ、年齢も近く(芙蓉の生年には2説ある) ...




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