「人物画」 一覧

終生日本画の近代化に尽くした寺崎広業

秋田に生まれた寺崎広業(1866-1919)は、はじめ郷里の狩野派・小室怡々斎に師事し、ついで角館出身で東京に出ていた四条派の平福穂庵の勧めで上京し穂庵に師事、穂庵の帰郷後も東京に残り、東陽堂の美術雑 ...

写生を重んじ、中央画壇でも活躍した平福穂庵

角館に生まれた平福穂庵は、幼いころから郷里の四条派の画家・武村文海に学び、16歳の時に京都に遊学、特定の師につかず社寺に伝わる古画の模写や風物写生により画技の研鑽につとめた。22歳で帰郷し、家業の染物 ...

人生の大半を旅に費やした本荘藩御用絵師・増田九木

由利・本荘地方は、本荘狩野といわれる独自の絵画圏をつくり、狩野派が大きな勢力を持っていたが、谷文晁系の南画を学んだ増田九木は、長い旅の末に広く画名をあげ、帰郷後には藩御用絵師として活躍した。 増田九木 ...

横手の南蘋派・佐々木原善と戸村後草園

秋田に最もはやく南蘋派の画法を伝えたのは、横手の佐々木原善(不明-不明)とされる。原善は横手城代の戸村義敬・義通(後草園)親子をパトロンとし、安永年間に江戸に出て松林山人について学び、さらに長崎に行き ...

秋田蘭画の画家たち

秋田蘭画の画家としては、平賀源内に西洋画法を伝授された小田野直武と、直武から画法を学んだ秋田藩主・佐竹曙山を中心に、直武のよき理解者だった角館城代の佐竹義躬、直武とともに源内から直接学んだとされる田代 ...

狩野派の筆致に陰影法を加味した作品を残した荻津勝孝

佐竹曙山の直臣・荻津勝孝も秋田蘭画を描いた人物のひとりとされ、平賀源内が秋田滞在中に、小田野直武、田代忠国とともに源内に西洋画法を伝授されたと伝わっている。狩野洞春の画風を学んだが、専門画家ではなく、 ...

昭和初期の青森県の洋画家

昭和初期の青森では、大正時代に引き続き、いろいろな美術団体や研究所が立ちあげられた。昭和2年には、東京美術学校を卒業して弘前中学校で美術教師をしていた穴沢赳夫(1899-1946)が、同校の卒業生・黒 ...

エノケンのレビュー作家をつとめた菊谷栄

菊谷栄(1902-1937)は、青森市では今純三に継ぐ油絵の草分け的存在だが、菊谷を有名にしたのは、「日本の喜劇王」と称されたエノケン(榎本健一)の劇団に舞台装置家として参加し、レビュー作家としてデビ ...

本格的な洋画を津軽に持ち帰った羽場金司

明治も終わり頃になると、東京美術学校西洋画科に青森県出身の若者たちも入学をはじめた。大川亮をはじめ、羽場金司、関彦四郎、大橋貞一らである。大正2年に東京美術学校を卒業した羽場金司(1886-1916) ...

青森初の洋画研究所を開いた大和田篤治と大川亮

青森県初の「洋画研究所」は、明治30年代後半、大和田篤治と大川亮によって青森市に開かれた。南津軽郡に生まれた大川亮(1881-1958)は、中学時代から絵を描き、画家になることを望んでいたが、家族の反 ...

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