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東京で学んだ宮崎県の洋画家
2021/7/6
山田新一「冬着のアーニャ」 宮崎から新しい美術を求めて東京に向かった画家としては、日本画では山内多門、益田玉城、大野重幸、根井南華があげられる。洋画では塩月桃甫が、東京美術学校に学び、その後台湾に渡っ ...
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台湾美術振興に大きく貢献した塩月桃甫
2021/7/6
塩月桃甫「舞子」 宮崎県西都市に生まれた塩月桃甫(1886-1954)は、宮崎師範学校を出て東京美術学校に進んだ。卒業後は大阪の浪華小学校、松山の師範学校で教師をつとめ、松山では、高浜虚子ら文人と交流 ...
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90年の生涯いっぱいに多彩な画業を展開した中澤弘光
2021/7/6
中澤弘光「カフェの女」宮崎県立美術館蔵 宮崎出身ではないが、ゆかりの画家に中澤弘光(1874-1964)がいる。中澤は父親が旧佐土原藩士で、東京に生まれた。早くに両親を亡くし、10代の前半から鹿児島の ...
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米国で肖像画家として活躍した伊達孝太郎
2021/7/6
伊達孝太郎「少女」 宮崎における最初の本格的洋画家は、伊達孝太郎(1878-1964)とされる。伊達は、宮崎県高岡町に生まれ、宮崎師範学校を卒業後、旧制小、中学校で図画教師をつとめていたが、明治35年 ...
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多門や玉城と親しく交わり絵を学んだ丸田省吾
2023/9/27
丸田省吾「おしろい花」宮崎県立美術館蔵 都城に生まれた丸田省吾(1880-1961)は、従兄である山内多門(1878-1932)や、義兄にあたる益田玉城(1881-1955)と親しく交わり絵を学んだ画 ...
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第9回文展の美人画室でデビューした都城の美人画家・益田玉城
2023/9/27
益田玉城「現代隅田川風景」都城市立美術館蔵 都城に生まれた益田玉城(1881-1955)は、15歳の時に京都に出て京都市美術工芸学校に入学したが、体を壊し休学して故郷に戻った。失意の玉城を励ましたのは ...
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都城島津家の最初の絵師・白谷卜斎
2021/7/6
白谷卜斎画・長峰探隠模写「豊太閣図」 宮崎の美術の中で、まず最初に狩野派の絵師として登場するのが、都城藩の白谷卜斎(不明-1658)である。白谷卜斎は都城領主・北郷忠能に仕え、文録の頃、京都に出て狩野 ...
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国東地方にちょっとした京風美人画ブームをもたらした吉原真龍
2021/7/6
吉原真龍「語らい美人図」 豊後出身の美人画家としては、西国東郡真玉町の吉原真龍(1804-1856)があげられる。真龍は文政期頃に京都に出て三畠上龍に入門し美人画を学んだ。京都を中心に活躍し、嘉永2年 ...
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熊本近代洋画の発展に寄与した青木彜蔵と伊藤直臣
2021/7/6
青木彜蔵「孔子画像」熊本県立済々黌高等学校蔵 熊本洋画は黎明期を経て、次第に近代化への道を進んでいくが、その啓蒙的な役割を担ったのが、美術学校で学んだのち郷里に戻ってきた洋画家たちだった。彼らの働きに ...
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熊本洋画の先駆的人物・光永眠雷が描いた西郷隆盛
2021/7/6
光永眠雷「西郷隆盛肖像」 熊本洋画の黎明期をになった画家としては、明治12年に上京し、イタリア人画家・キヨッソーネのもとで油絵を学んだ光永眠雷(1867-1928)が挙げられる。眠雷は東京で油絵を学ん ...