動物画

滑稽で人間臭い動物画を描いた森二鳳

2024/9/11  

森二鳳「稲荷狐図」関西大学図書館蔵 森二鳳(1818-1891)の生涯は不明な点が多いが、森一鳳に学んだと思われる。商売繁盛を意味する滑稽な「稲荷狐図」(掲載作品)や、人間臭い「鶴図」を描くなど、大坂 ...

森派の動物画に軽妙で洒脱な傾向を加味した森一鳳

2024/9/11  

森一鳳「熊図」 森派二代目となった森徹山には4人の実子がいたが、男子2人は妻の実家である京仏師田中家の養子となり森家は継がず、門人の森一鳳(1798-1871)が、娘2人のうちのひとり柳の婿養子となり ...

森狙仙に学び円山応挙風の子犬図も残した鎌田巌松

2024/9/6  

鎌田巌松「三疋子犬図」 森狙仙の門人としては、養子となって森派二代目を継いだ森徹山をはじめ、花卉翎毛を得意とした高弟・森春溪、森周峰の実子で狙仙に学んだと思われる森祖雪、森玉仙、金田芦江、鎌田巌松らが ...

森派の動物写生画に円山派の描法を加味した森徹山

2024/9/4  

森徹山「松に鶴図屏風」(左隻部分) 森派の基礎を築いた森狙仙には雄仙という実子がいたが、なぜか雄仙は兄周峰の養子となり、その代わりに周峰の実子徹山が狙仙の養子となり森派を継いだ。徹山が16歳だった寛政 ...

狩野派の描法を基調に写実的な動物画も残した森周峰

2024/11/13  

森周峰「虎ノ図」 森周峰(1738-1823)は、吉村周山の門人で、禁裏絵師にも名を連ね、同門の吉村周圭らと同時期に活躍した。絵師と伝わっている森如閑斎の二男で、兄に森陽信が、弟に森狙仙がいる。はじめ ...

生涯軍鶏を描き続け軍鶏の画家と呼ばれた山下繁雄

2024/6/24  

山下繁雄「我が村と軍鶏」奈良県立美術館蔵 山下繁雄(1883-1958)は、東京京橋の元禄期頃から大名の駕籠づくりを家業としていた旧家に生まれた。幼いころから画を好み、少年時代には小山正太郎の不同舎で ...

奈良公園と鹿の生態を描き続けた濱田葆光

2024/6/21  

濱田葆光「水辺の鹿」奈良県立美術館蔵 濱田葆光(1886-1947)は、高知市に生まれ、画家を志して上京、はじめ徳永仁臣の審美学舎で学び、ついで小山正太郎の不同舎に入った。さらに太平洋画会研究所に入り ...

画壇から離れ西宮で静かな作画活動を行なった新井完

2024/2/14  

新井完「猫」姫路市立美術館蔵 新井完(1885-1964)は、兵庫県姫路市に生まれた。父と早く死別したこともあって姫路中学を中退して叔父を頼って上京し、日本中学に転入した。明治38年東京美術学校に入学 ...

両画壇で活躍し神戸画壇の形成にも寄与した橋本関雪

2024/2/7  

橋本関雪「唐犬図」右隻 足立美術館蔵 橋本関雪(1883-1945)は、兵庫県八部郡坂本村(現在の神戸市中央区)に生まれた。父親の関海は旧明石藩の藩者で、関雪も父の薫陶を受けて育ち、早くから漢学の素養 ...

森派を継いで幕末期の大坂画壇で活躍した森一鳳

2024/1/24  

森一鳳「猪図」永青文庫蔵 森一鳳(1798-1871)は、播州吉田村の出身と伝えられている。大坂に出て森徹山の門に入り、その画技を認められて24歳の時に娘婿となって森派を継ぎ、家風を守って幕末期の大坂 ...

市川其融ら鈴木其一の流れを汲む画人

2024/1/17  

市川其融「四季草花虫図」 酒井抱一の実質的な後継者となった鈴木其一は、抱一没後に自ら願い出て酒井家に一代絵師として仕えた。しかし、表向きは酒井家の御用絵師だったが、パトロンを得ることも認められていたよ ...

抱一と交わり俳諧もよくした茶屋の主人・松本交山

2024/1/15  

松本交山「百蝶図」井政蔵 松本交山(1784-1866)は、江戸深川の富岡八幡境内の二軒茶屋の一軒「松本」の主人だったが、家業を弟に譲り、境内に別宅七草庵を構え、祝髪して亀交山とも称した。画を谷文晁に ...

風雅を好んだ姫路藩主・酒井宗雅

2024/1/5  

左:酒井宗雅「兎図」兵庫県立歴史博物館蔵、右:酒井宗雅「石楠花に山鳩図」 酒井宗雅(1755-1790)は、名を忠以といい、姫路藩主酒井忠恭の嫡子・酒井忠仰の長男として姫路藩の江戸藩邸に生まれた。酒井 ...

文展を離れ日本自由画壇の結成に参加した渡辺公観

2023/10/6  

渡辺公観「柳鷺図」滋賀県立美術館蔵 渡辺公観(1877-1938)は、大津鍵屋町(現在の大津市)に生まれた。父親は円満院門跡の侍医をつとめていた。円満院門跡は当時、大津における文化人の後援者的存在だっ ...

近江ゆかりの山元春挙の門人

2023/9/27  

斎藤紫山「夏野」滋賀県立美術館蔵 山元春挙は、京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で教鞭をとって多くの教え子を育て、明治33年からは画塾・同攻会(のちに早苗会と改称)を結成して後進の指導にあたっ ...

近代京都画壇の黎明期に活躍した岸派四代・岸竹堂

2023/8/21  

岸竹堂「虎図」滋賀県立美術館蔵 岸竹堂(1826-1897)は、彦根藩士の家に生まれ、11歳から地元の狩野派・中島安泰(不明-不明)に画を学んだ。その後、師の安泰から京都でよい師を求めるよう勧められ、 ...




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