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会津を離れ彦根藩御用絵師となった佐竹永海

佐竹永海「孔明三顧図」

佐竹永海(1803-1874)は、会津藩の御用もつとめていた蒔絵師の家に生まれた。幼いころから地元の狩野派の絵師・萩原盤山に絵を学び、師から一字を得て「盤玉」と号した。その後、18歳、または20歳の頃に郷里を離れ、江戸に出て谷文晁の画塾・写山楼に入った。着実に画名を高めていったようで、20歳代後半には絵師の人名録や書画会録などに名前が登場するようになった。

天保9年、36歳にして彦根藩主井伊家に召し抱えられ、御用絵師となり、十二代井伊直亮、十三代直弼、十四代直憲に仕え、御用をつとめた。その一方で、版本の挿絵も手掛け、嘉永3年に「提醒紀談」、嘉永5年に「茶番頓知論」、翌6年に「愛育茶譚」、そして晩年の明治3年には「横浜八景詩画」が刊行された。こうした仕事を通じて、永海の名前は幅広い層へと浸透していったと考えられる。

関連記事:彦根藩の終焉まで御用をつとめた佐竹永海

佐竹永海(1803-1874)さたけ・えいかい
享和3年若松城下北小路町生まれ。家業は蒔絵師。別号に周村、雪梅、九成堂、磐玉、衛階、愛雪楼、天水翁、篤敬などがある。幼いころから萩原盤山に師事し、盤玉と号した。のちに江戸に出て谷文晁の画塾写山楼に入門し、書画会や詩会に参加し文人や有力者と交流した。文晁没後は、彦根藩主井伊家のお抱え絵師となった。安政2年法橋に、ついで法眼に叙された。明治7年、72歳で死去した。

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文献:ふくしま近世の画人たち、会津の絵画と書、彦根藩御用絵師・佐竹永海、会津ふるさと大百科、会津人物事典(画人編)




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