阿波の住吉派の第一人者である守住貫魚の門下で最も傑出した画人と称された森魚渕(1830-1909)は、ほとんどを徳島の地で活動し、地元画壇の発展に貢献した。明治20年代にできた徳島絵画協会では中心的な役割を果たし、門弟たちが阿波国雅癖会という美術団体を組織するなど、徳島の美術界において大きな存在感を示した。門下からは、風俗画で知られ「阿波踊り」の名付け親でもある林鼓浪(1887-1965)らが出ている。吉永藍畦に学んだ多田藍香(1858-1928)は、徳島紺屋町に私立徳島絵画学校を開くなど後進を育てるとともに、ビラ絵や行燈の絵を手掛けるなど多彩な活動をした。門下には團藍舟(1873-1935)らがいる。佐香貫古、佐香美古に学び、のちに各派の画人と交友し研鑚を積んだ湯浅桑月(1878-1929)は、明治から大正にかけて活躍し、徳島の地に多くの作品を残し、門人を育てた。
森魚渕(1830-1909)もり・なぶち
天保元年生まれ。名は宇吉。徳島古物町に住んでいた。父は森善次。幼いころに孤児となり9歳の時に守住貫魚に託された。はじめ美明と号した。画の修業のため江戸に出ようとしたがちょうど米艦が浦賀に来て江戸が騒然となっていたため中止、以後ほとんど徳島にいた。貫魚門人のなかで最も傑出した画人とされた。明治15年と17年の内国絵画共進会で褒状を受けるなど展覧会での受賞が多く、門人も多く育てた。明治42年、80歳で死去した。
林鼓浪(1887-1965)はやし・ころう
明治20年徳島大工町生まれ。名は宜一。森魚渕に師事した。民俗芸能や故実に通じ、若いころ京阪の劇場で演劇の研究にも従事した。徳島の盆踊りを「阿波踊り」と名付けたことで知られる。昭和40年、徳島市の人間文化財に指定された。昭和40年、78歳で死去した。
多田藍香(1858-1928)ただ・らんこう
安政5年生まれ。徳島富田浦の人。名は仙次郎。父は加一兵衛。はじめ父に学び、次いで吉永藍畦に学んだ。奇人であって東洋亭金波と名乗って講釈師としても活躍した。明治17年に内国絵画共進会に出品、明治22年、徳島紺屋町に私立徳島絵画学校を開いた。弟子に團藍舟がいる。お鯉さんは娘。昭和3年、71歳で死去した。
團藍舟(1873-1935)だん・らんしゅう
明治6年生まれ。本名は伊作。字は士敬。通称は英雄。別号に智章がある。徳島津田段の丁の人。多田藍香の門人だったが、東京に出て川端玉章に入門した。川端画学校創立の時に塾頭となった。また日本美術協会の幹部としても活躍した。昭和10年、63歳で死去した。
湯浅桑月(1878-1929)ゆあさ・そうげつ
明治11年生まれ。本名は茂。徳島大工町の人。佐香貫古、佐香美古に学んだ。初号は茂胤。17歳の時に郷里を出て、各派の画人と交友し研鑚を積んだ。明治37年に帰郷し作画生活に入った。門人が多く、県内に作品が多く残っている。昭和4年、52歳で死去した。
小川芳崖(1866-1952)おがわ・ほうがい
慶応2年生まれ。松茂の人。森魚渕に学んだ。弟の苔石も画人。昭和27年、87歳で死去した。
山本守渕(1868-1956)やまもと・しゅえん
明治元年生まれ。名は宇蔵。佐古の人。山本岩吉の二男。長谷川姓を名乗っていたこともある。昭和31年、89歳で死去した。
川人穎栗(1871-1862)かわひと・えいり
明治4年生まれ。本名は栄次郎。徳島矢三町高見の人。別号に墨州、川観子、野草などがある。徳島住吉島の藩士・川人棟四郎の二男。18歳の時に森魚渕に入門、明治24年に東京に出て富岡永洗、結城素明、狩野友信に師事した。明治26年、徳島に戻り、住吉派をはじめ狩野派、浮世絵、新傾向の日本画も学んだため、人物、花鳥、山水すべてを得意とし肖像画もよくした。歌をたしなみ「野草」の著書がある。昭和37年、92歳で死去した。
犬伏真渕(1874-1949)いぬぶし・しんえん
明治7年生まれ。徳島富田幟の人。森魚渕に学んだ。装飾的な画が多く、雛人形の図などを多く描いた。弟の木村松亭も画人。昭和24年、76歳で死去した。
森魚海(1876-1928)もり・ぎょかい
明治9年生まれ。名は大次郎。森魚渕の二男。父に住吉派を学び、人物画などをよくした。昭和3年、53歳で死去した。
福山明玉(1876-不明)ふくやま・めいぎょく
明治9年生まれ。名は定次。徳島新居の人。森魚渕に師事し、のちに川合玉堂に師事した。山水を得意とした。十数年間教職にあった。
公文芦渕(1876-1942)くもん・ろえん
明治9年生まれ。本名は鈴木三二。森魚渕に入門し、のちに上京して住吉宗家に入った。
笠谷貫樹(1879-1962)かさや・かんじゅ
明治12年生まれ。小松島田野の人。名は宗吉。湯浅桑月に学んだ。山水、仏画を得意とした。若いころ人形座源之丞の背景描きをしていたいう。昭和37年、84歳で死去した。
一楽湖城(1879-1976)いちらく・こじょう
明治12年生まれ。名は藤四郎。那賀郡羽ノ浦町岩脇の人。湯浅桑月に学んだ。能筆で、俳句、茶道、生花、彫刻、表具などにおいても才能を発揮した。昭和51年、98歳で死去した。
奥田芳彦(1880-不明)おくだ・よしひこ
明治13年生まれ。徳島市生まれ。本名は光榮。別号に遅牛、黙示庵がある。はじめ森魚渕に学び、のちに上京して橋本雅邦に師事した。
木村松亭(1885-1948)きむら・しょうてい
明治18年生まれ。名は誉。別号に脩古がある。徳島市富田浦幟町の人。犬伏真渕の弟。兄とおなじく森魚渕の門に入り住吉派の画を学び、歴史画、花鳥画を得意とした。一時、香川県大川郡引田町に住み、前田垂穂といった。昭和23年、64歳で死去した。
稲井耕雲(1889-1956)いない・こううん
明治22年生まれ。板野郡御所高尾の人。名は菊次郎。犬伏真渕に師事した。昭和31年、68歳で死去した。
佐和藍田(1890-1977)さわ・らんでん
明治23年生まれ。小学校在学中から森魚渕に画を学び、のちに上京して團藍舟に師事した。昭和52年、87歳で死去した。
池内観象(1895-1926)いけうち・かんしょう
明治28年生まれ。初号は嵩豊。名西郡石井町高原関の人。はじめ湯浅桑月に学び、のちに大阪の上島鳳山に学んだ。美人画を得意とした。中国・朝鮮を歴遊した。大正15年、32歳で死去した。
徳島(19)-画人伝・INDEX
文献:阿波の画人作品集、阿波の画人作品二集、阿波画人名鑑、近代徳島の美術家列伝