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秋田県の洋画家の草分け的存在・小西正太郎

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小西正太郎「赤い着物の女」

秋田県人で最も早く洋画を学んだとされるのは、男鹿市出身の斎藤鹿山(1866-1943)だが、斎藤は、その後30歳の時に福田笑迎と秋田新聞を創刊、節堂などの筆名で雑文や短編小説を連載するなど、文筆家の道に進んだ。

秋田県の洋画家の草分け的存在としては、東京美術学校に学んだ小西正太郎(1876-1956)がいる。小西は、仙北郡六郷町の裕福な家に生まれ、画家を志して上京、東京美術学校の日本画科に入るが、黒田清輝を知り、西洋画科に移り、白馬会にも出品した。

明治37年に帰郷して中学校教諭や県議会議員をつとめ、画家活動を中断していたが、46歳の時に絵画への情熱が再燃、大正11年東京美術学校時代の友人・中澤弘光らとともに渡仏し、パリのアカデミーに入った。在仏中は、藤田嗣治や田中保らモンパルナスの仲間たちと展覧会を開いた。

帰国後は、東京の神田錦町に錦町自由研究所を開設して勤労画学生を教えるともに、帝展、白日会展、光風会展などに出品、昭和20年に疎開で郷里に帰るまで中央画壇で活躍した。

小西正太郎(1876-1956)こにし・しょうたろう
明治9年秋田県六郷町生まれ。明治28年東京美術学校予備科に入学。のち、絵画科で日本画を学ぶが、西洋画科に移り黒田清輝に師事、明治31年、32年の白馬会展に出品した。明治37年六郷町に帰りしばらく絵画から遠ざかるが、再び絵画への情熱が再燃し、大正11年東京美術学校時代の友人・中澤弘光らと渡仏しパリのアカデミーに入った。大正13年春のサロン・ナショナル展、ベルギー・リエージュ市王室美術協会の「サロン・トリエンナーレ・ド・リエージュ展」に入選し、翌年サロン・ドートンヌ会員となった。昭和元年帰国し、渡欧油絵展を日本橋三越呉服展と秋田市の山口銀行秋田支店ほかで開催。この年、神田錦町に錦町自由研究所を開設し、勤労画学生に教えた。昭和2年白日会会員となり同年帝展に初入選。昭和4年光風会展の特別陳列「欧州絵画の模写展」に出品した。昭和20年六郷町に疎開し、没年まで居住した。昭和31年、81歳で死去した。

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