佐土原藩では狩野永諄(1652-不明)が絵師としてつとめた。永諄は佐土原藩の家臣ではなく、絵師として招かれて佐土原に来た人物と思われる。作品は、佐土原町の大光寺に残っている「出山仙」「維摩居士図」など3点、宮崎県立図書館の杉田文庫に三幅対のものが1点残っており、いずれも署名は法橋狩野永諄とある。法橋の位を与えられ、狩野の姓と師の永の文字を名前に許されており、佐土原藩は優秀な人材として永諄を日向国に迎えたと思われる。
狩野永諄(1652-不明)
承応元年生まれ。本姓は石田、名は里信、通称は九郎右衛門。作品の署名には尖信の名もみられる。中橋狩野家の狩野右京時信に師事した。時信没後は、その子・永叔主信を時信の弟子だった狩野昌運季信とともに後見した。晩年は帰国した。
宮崎(7)-画人伝・INDEX
文献:郷土の絵師と日本画家展