画家略歴

茨城(5)-ネット検索で出てこない画家

後藤夕山 ごとう・せきざん
水戸市下市肴町の人。名は壬介。松平雪山の門人。明治初年頃死去。

五藤自適 ごとう・じてき
天保10年生まれ。水戸仲町の人。名は近知。東照宮の神官、茨城県庁の知事官房に勤務していた。書をよくし、義烈館の太鼓の書は自適の作だとされる。画は松平雪山に学び、四君子を得意とした。大正2年、75歳で死去した。

佐々重晁 ささ・じゅうちょう
寛政5年生まれ。水戸藩の儒者。西村氏、字は明侯、別号に了斎がある。弘化3年、54歳で死去した。

佐藤松溪 さとう・しょうけい
文化8年生まれ。名は延昌、字は中卿、通称は量平。青山雲龍の子で佐藤中陵の養子となった。天保9年水戸藩に仕え、書画もよしくた。著書に『皇朝書画譜』『楷書類聚』『點画奇賞』『武器図説』『松溪文集』などがある。嘉永6年、43歳で死去した。

佐野盛致 さの・もりむね
水戸の人。松平雪山の門人。四君子と得意とした。藩主徳川斉昭の命により作成された《追鳥狩絵巻十八軸》を加藤雪潭とともに描いた。明治初年頃死去。

酒井藍山 さかい・あいざん
後藤文琳の子で酒井家を継いだ。画は父に学び山水を得意とした。明治初年頃死去。

坂場奇一 さかば・きいち
水戸市蓮池町の人。名は時成、通称が奇一で号は荷亭。松平雪山の門人で花鳥山水をよくした。明治初年頃死去。

酒巻于宜 さかまき・とくぎ
水戸市紺屋町の人。明治期の画家。はじめ一柳友善を師とし、のちに立原杏所の門人となる。人物画を得意とした。

斎藤無岳 さいとう・むがく
新治郡中家村の人。明治期の画家。名は伝。早くから東京に出て菊池容斎の門人となり歴史画を学んだ。

坂田鴎谷 さかた・おうこく
新潟蒲生郡鹿久間生まれ。名は愛、字は世誨、通称は亮八。別号に鹿園がある。奥原晴湖と特に親交があり、鈴木鵞古や介庵らとともに江戸で「下谷文人画家」を結成。《雲畑供養》の画帳の中に晴湖とともに山水画を描いている。明治14年死去。

桜井武彦 さくらい・たけひこ
嘉永5年生まれ。西茨城郡石井村の人。号桂山。幼い頃から画を好んでいたが家が貧しくて師につくことができず、独学で研究した。

桜井華水 さくらい・かすい
笠間の人。名は憲。桜井華陵の子。茨城師範を明治44年に卒業、教鞭をとった。水彩画を得意とした。

笹沼竹風 ささぬま・ちくふう
明治36年生まれ。西茨城郡笠間大字石井の人。別号に青波、静波。晩年は明峯と号した。大正8年松本楓湖の門人となり、楓湖没後は木村武山に師事した。昭和56年、79歳で死去した。

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文献:茨城の古書画人名事典




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