画人伝・福島 洋画家 夭折の画家 人物画

将来を嘱望されながら20歳で夭折した幻視の画家・関根正二

関根正二「信仰の悲しみ」

関根正二(1899-1919)は、現在の白河市の茅葺き職人の二男として生まれ、8歳の時に東京の深川に転居した。深川では日本画家の伊東深水(1898-1972)と幼なじみで、深水が鏑木清方に入門して日本画家としての道を歩き始めたのを知って、関根も画家を志すようになった。深水の紹介で結城素明が図案顧問をつとめていた日本橋兜町の印刷会社に給仕として入り、同社図案部にいた小林専という洋画家から強い影響を受け、ワイルドやニーチェの存在を知った。

大正4年、16歳の時、小林専の下宿で知り合った野村という日本画家の旅行談に刺激され、連れ立って無銭旅行に出かけた。野村とは途中で別れ、以後は一人で甲信越方面を放浪し、旅の途中で長野市に住んでいた洋画家・河野通勢に出会った。関根は、河野家にあったヨーロッパの巨匠の画集や、河野が描いた油絵や素描を見て衝撃を受け、また、河野の芸術や人生に対する敬虔な態度にも精神的影響を受けた。

同年、第2回二科展に「死を思う日」を出品、初入選を果たした。この年の二科展には安井曾太郎の渡欧作44点が特別出品されていたが、この展示が当時の若い洋画家に及ぼした影響は大きく、関根も安井の作品と自作との違いに再び衝撃を受け、色彩の重要性を認識するようになる。

その後も二科展に連続入選して頭角を現わすが、大正7年4月に受けた蓄膿症の手術の経過が悪く、そのうえ恋心を抱いていた女性を東郷青児に奪われるという失恋も重なり、5月末には日比谷公園で暴れて、警察の留置場に一晩拘留された。このことが「時事新報」に「発狂したという青年美術家」という記事になって掲載され、静養のためしばらく姉の嫁ぎ先である銚子に行くが、帰京後の6月結核の症状が出る。

奇行が目立つ反面、制作活動では盛んな高まりを見せ、同年9月の第5回二科展で「信仰の悲しみ」(上記掲載)「自画像」「姉弟」(下記掲載)を出品し、新人の登竜門とされる樗牛賞を受賞した。受賞の際に受けた新聞のインタビューで、関根は次のように語っている。

「私は先日来極度の神経衰弱になり、それは狂人とまで云われる様な物でした。しかし私はけっして狂人でないのです。真実色々な暗示又幻影が目前に現れるのです。朝夕孤独の淋しさに何物かを祀る心地になる時、ああした女が三人又五人私の目の前に現れるのです。それが今尚、現れるのです。あれは未だ完全に表現出来ないのです。身の都合で中ばで中止したのです」

この発言によって、関根は「幻視の画家」と呼ばれるようになり、ヴァーミリオンという鮮やかな朱色を大胆に使った鮮烈な画風を展開するが、大正8年6月、世界的な流行をみせたスペイン風邪から肺炎を併発し、20歳と2ケ月の生涯を閉じた。

関根正二「姉弟」

関根正二(1899-1919)せきね・しょうじ
明治31年現在の福島県白河市生まれ。木端葺職人政吉の子。8歳の時に東京深川に移住。近所に伊東深水がいた。東川尋常小学校卒業後、深水の紹介で日本橋兜町の東京印刷に給仕としてつとめた。同社は結城素明が図案顧問だった。大正4年無銭旅行に出て信州方面を放浪し、河野通勢と知り合い影響を受ける。同年の第2回二科展に初入選。初期は通勢の影響を受けて暗い色調だったが、安井曾太郎の作品を見て色彩の重要性を認識しセザンヌ風の画風を模索、大正7年からは鮮やかな朱色をもちいて幻想的な色彩世界を展開し、その朱色は「関根のヴァーミリオン」とよばれた。同年の二科展で樗牛賞を受け、将来を嘱望されたが、大正8年、20歳で死去した。

参考:UAG美人画研究室(関根正二)

福島(34)-画人伝・INDEX

文献:大正洋画の青春 関根正二とその時代、郷土白河が生んだ幻視の画家 関根正二展、ふくしまの美術 昭和のあゆみ、文化の力-福島と近代美術、白河を駆け抜けた作家たち、東北画人伝




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