画人伝・長崎

佐伯祐三と行動を共にしフランスで客死した横手貞美

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昭和2年、横手貞美(1899-1931)は、東京美術学校を卒業したばかりの荻須高徳(1901-1986)、山口長男(1902-1983)とともに、横浜港からパリへ向かう旅客船に乗り込んだ。すでに2度目の渡仏を果たしパリに住んでいた佐伯祐三(1898-1928)を頼ってのパリ行きだった。荻須と山口は、東京美術学校での佐伯の後輩にあたる。横浜を出た船は、神戸に寄港し、ここで偶然乗り込んできた旧知の大橋了介(1895-1943)と合流した。約40日におよぶ船旅の末にマルセイユに上陸した4人は、夜行列車でパリに向かった。

すでにパリで制作していた佐伯は4人を歓迎し、佐伯と初対面だった横手はその親切さに感激したという。佐伯は彼らにパリ生活でのノウハウを教えたり、芸術論を説いたりした。すぐに佐伯を中心にしたサークルが形成され、パリ郊外で合宿して1日3点主義を実行するなど、風景画を中心に精力的な制作が展開された。パリ市内のグランド・ショミエールなどで人物画の研究もした。しかし、その旺盛なグループ活動も翌年の佐伯の死によって突然終わる。

佐伯と制作を共にし、佐伯の影響を強く受けていた横手は、佐伯の死とともに独自の表現を追求するようになるが、横手もまた、その3年後に31歳の若さでフランスで客死することになる。場所はスイス国境に近いフランス南東部の町オトヴィルのサナトリウムで、胸郭切除手術を受けた末での死だった。佐伯の後を追うような人生を送り、佐伯の影に隠れがちな横手の画業だが、近年見直されてきており、再評価の動きも見られる。

横手貞美(1899-1931)
明治32年宮崎市生まれ。父は大分県宇佐郡出身の判事で、仕事の関係で九州各地を移り住んだ。大正2年、14歳の時に父が死去したため、長崎で耳鼻咽喉科を開院していた次兄のもとに身を寄せ、翌年長崎市の私立海星中学校に入学した。同校のフランス人図画教師アルベール・ブレザッケルの指導で絵画に興味も持ち、大正8年同校卒業後に上京して小林萬吾の私塾・同舟社で石膏デッサンを学び、東京美術学校を受験するが「胸廊変態」と診断され入学を拒否されたという。この頃から岡田三郎助の本郷絵画研究所に通い人体写生を研究した。同研究所で山口長男、大橋了介らと知り合った。昭和2年、荻須高徳、山口長男とともに佐伯祐三を頼って渡仏、偶然同じ船に乗り合わせた大橋了介と4人で佐伯を訪ねた。以後佐伯と制作を共にし、佐伯の影響を強く受けるが、昭和3年に佐伯が死去したのちには、独自の表現を追求するようになる。昭和5年、革命祭の絵を最後に病床につき、翌6年、フランスにおいて31歳で死去した。

文献:未完の青春 横手貞美、長崎の肖像 長崎派の美術家列伝

佐伯祐三展 (1968年)
朝日新聞東京本社企画部







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