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郷土画家として多くの後進を育てた青木翠山と利根沼田の門人
2021/7/5
青木翠山「山水図」 青木翠山(1842-1896)は、沼田藩士の長男として、利根郡沼田(現在の群馬県沼田市西原新町)に生まれた。幼いころから平等寺の住職・井上無蓋に絵を学び、紙凧や羽子板に絵を描いて家 ...
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若くして高崎藩を脱藩し諸国を旅した矢島群芳
2021/7/5
矢島群芳「四季花鳥図」(左:春、右:夏)高崎市蔵 矢島群芳「四季花鳥図」(左:秋、右:冬)高崎市蔵 高崎藩士・矢島兵左衛門定喜の子として江戸藩邸に生まれた矢島群芳(1798-1869)は、幼いころから ...
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田中一村ら栃木ゆかりの日本画家
2021/7/6
田中一村「枇榔樹の森に崑崙花」(部分)田中一村記念美術館蔵 栃木町(現在の栃木市)に生まれた田中一村(1908-1977)は、幼いころから画才を発揮し、大正15年には東京美術学校日本画科に入学するが2 ...
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下野の南蘋派・宇都宮藩主の戸田忠翰
2021/7/6
左:戸田忠翰「白鸚鵡図」右:戸田忠翰「雪竹兎図」板橋区立美術館蔵 南蘋派の画人として知られる宇都宮藩2代藩主・戸田忠翰(1761-1823)は、江戸に生まれ、38歳で家督を継ぎ、文化6年まで藩主をつと ...
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幕末・明治初期における南画隆盛の一翼をになった女性南画家・奥原晴湖
2021/7/6
奥原晴湖「芦雁図」茨城県近代美術館蔵 奥原晴湖(1837-1913)は、古河藩重臣・池田政明の四女として下総国古河城下片町(現在の茨城県古河市)に生まれ、家老の鷹見泉石に学問を学び、藩士の枚田水石に画 ...
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近世水戸の南蘋派・宮部雲錦と栗田長珉
2021/7/6
宮部雲錦 左:「山水図」、右:「江村帰漁図」 宝暦年間(1751-1764)になると、長崎に来航した沈南蘋が伝えた新しい写実主義が全国的に影響を及ぼし、江戸では宋紫石をはじめとする多くの南蘋派の画家た ...
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福陽美術会を組織し、福島県の日本画の普及と向上に貢献した勝田蕉琴
2021/7/6
勝田蕉琴「喬松蒼鷹」福島県立美術館蔵 福島県棚倉町の士族の家に生まれた勝田蕉琴(1879-1963)は、はじめ会津の画家・野出蕉雨について日本画の基礎を学び、その後上京して橋本雅邦に師事、その翌年東京 ...
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小荒井豊山と明治期の喜多方地方の画家
2021/7/6
小荒井豊山 左:「浪煖桃香図」右:「松と鶴図」 小荒井豊山(1858-1908)は、安政年間に四条派の絵師だった小荒井輪鼎の子として生まれ、幼いころから父に画を学び、のちに上京して滝和亭に師事した。和 ...
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豊麗な「牡丹画」のスタイルを完成させ、特に「牡丹に孔雀図」を得意とした野出蕉雨
2021/7/6
野出蕉雨「孔雀牡丹図」 会津若松城下の武士の家に生まれた野出蕉雨(1847-1942)は、画を好み、15歳ごろから同じ会津藩士である塩田牛渚について南画を学んだ。藩主・松平容保が京都守護職として在任中 ...
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浦上春琴に師事し長崎三画人にも学んだ塩田牛渚
2021/7/6
塩田牛渚「花鳥図屏風」 会津藩の世臣の子として生まれた塩田牛渚(1828-1866)は、少年の頃には小姓として会津藩主・松平容敬に仕えていたが、幼いころから絵を描くのが好きで、専門絵師になるため、藩士 ...
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白雲、巨野泉祐同様に松平定信に見出されて谷文晁の門に入り、師譲りの幅広い画域の作品を手掛けた白河藩絵師・星野文良
2021/7/6
星野文良 左:「林和靖」、右:「花鳥図」 白河藩絵師・星野文良(1798-1846)は、16歳の時に江戸詰めとなり、八丁堀の白河藩邸に住み、藩主・松平定信の命を受けて谷文晁の門に入った。享和3年には、 ...
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白河藩御用絵師として城内障壁画や肖像画の制作をはじめ各種写生記録を手掛けた巨野泉祐
2021/7/6
巨野泉祐 左:秋草図、右:月中之龍図 白河城下に生まれた巨野泉祐(1774-1837)は、16歳の時に仕官し、白河藩校・立教館容儀師範の手付となり、はじめて絵の御用に携わった。寛政7年には松平定信に画 ...
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第三代白河藩主・松平定信の画事
2021/7/6
松平定信「花鳥図」江戸東京博物館蔵 寛政の改革で知られる松平定信(1758-1829)は、八代将軍徳川吉宗の孫として江戸城内の田安邸に生まれ、17歳で白河藩松平家の養子となった。天明3年には白河藩の家 ...
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文化・文政期の漆山陣屋付き絵師・設楽東玉斎
2021/7/6
設楽東玉斎、左から「人物図」、「山水図」、「花鳥図」 文化・文政期に活躍した山形・村山地方の絵師に、漆山村(現在の山形市)の設楽東玉斎がいる。東玉斎は、天童奈良沢の菱沼家に生まれ、のちに漆山の設楽家に ...
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角館に四条派を移入した武村文海
2021/7/6
武村文海「鶏」 秋田藩内で盛んになった円山四条派の絵は、柴田南谷や川口月嶺によって広まったものと思われ、幕末から明治にかけて中央画壇でもその画名を知られるようになった角館の平福穂庵も、川口月嶺の影響を ...
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横手の円山四条派・柴田南谷、楳溪、松谷の三代
2021/7/6
柴田松谷「小禽図」 大坂画壇での長山孔寅の活躍は、秋田で四条派が普及する導火線になったと思われるが、系統として円山四条派の絵画を秋田藩内に広めたのは、江戸で学んだ横手の柴田南谷らとされる。 柴田南谷( ...