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葡萄和尚と称し後半生を信州諏訪で過ごした天龍道人
2021/8/10
天龍道人「葡萄図」 天龍道人(1718-1810)は、肥前鹿島藩の庶子に生まれたが家老の子として育てられ、14歳の時に藩主の継嗣候補となったがそれもかなわず、藩主の逆鱗に触れて一家は改易浪人として配処 ...
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山梨に疎開後は中央画壇から離れた近藤乾年
2021/7/5
近藤乾年「岩燕」 近藤乾年(1894-1984)は、南画家・近藤東来(1850-1925)の子として大阪市江戸堀に生まれた。父の東来は旅に生きた絵師で、それゆえに乾年は小学校を15回も転校したという。 ...
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日本画院の創立に尽力した望月春江
2021/7/5
望月春江「春に生きんとす」山梨県立美術館蔵 山梨県西山梨郡住吉村増坪(現在の甲府市増坪町)に生まれた望月春江(1893-1979)は、県立甲府中学校(現在の県立甲府第一高等学校)を特待生の成績で卒業し ...
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中村蘭林ら旧塩山市の南画家
2021/7/5
中村蘭林「玉堂富貴図」山梨県立美術館蔵 旧塩山市(現在の甲州市塩山)出身の明治期の南画家としては、甲府の竹邨三陽に学んだ村田昆棟、古屋栞雅らがいる。二人は明治15年の第1回内国絵画共進会に出品するとと ...
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明治の三大閨秀画家のひとり・野口小蘋
2021/7/5
野口小蘋「宜男富貴図」山梨県立美術館蔵 漢方医の長女として大坂に生まれた野口小蘋(1847-1917)は、幼いころから書画の才能に恵まれ、8歳で四条派の絵師・石垣東山に手ほどきを受け、19歳の時に南画 ...
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紀州侯のお抱え絵師になったと伝わる旭岳麟
2021/7/5
旭岳麟「松鶴図屏風」(部分) 山梨県都留市は、古くから郡内地方の中心地として発展し、特に江戸時代前期には谷村藩の城下町として栄えた。幕府の直轄地となってからも葛飾北斎や松尾芭蕉をはじめ多くの文人たちが ...
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群馬美術協会の結成と群馬の美術家
2021/7/5
高橋光輝「六月の頃」 昭和8年、東京在住の群馬県出身の洋画家によって、群馬最初の洋画団体と思われる「群馬洋画家協会」が結成された。発起人には、金井烏洲のひ孫に当たる金井文彦をはじめ、横堀角次郎、小林猶 ...
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小室翠雲に学んだ上州の南画家
2021/7/5
岡田晴峰「仙山瑤濤」 日本南画院の創立に参加するなど南画の普及につとめた小室翠雲は、明治36年、自宅に私塾「環堵画塾」を開設し、門人を集めて南画の技法を教えた。同塾解散後の昭和15年には、新旧門下生を ...
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日本画と工芸の両分野で活躍した大出東皐
2021/7/5
大出東皐「山の小川の春」 江戸神田に生まれた大出東皐(1841-1905)は、3歳の時に父に従って桐生に移り住んだ。8歳のころから三輪神社小島宮司のもとに通って書法を習い、天満宮神官・前原互瀬について ...
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郷土画家として多くの後進を育てた青木翠山と利根沼田の門人
2021/7/5
青木翠山「山水図」 青木翠山(1842-1896)は、沼田藩士の長男として、利根郡沼田(現在の群馬県沼田市西原新町)に生まれた。幼いころから平等寺の住職・井上無蓋に絵を学び、紙凧や羽子板に絵を描いて家 ...