風俗図・日常風景

伝統と奇想が相克する多彩な画業を展開した反骨の画鬼・河鍋暁斎

2024/12/11  

河鍋暁斎「鍾馗ニ鬼図」板橋区立美術館蔵 河鍋暁斎(1831-1889)は、天保2年に下総国古河(現在の茨城県古河市)の城下に生まれ、数え2歳の時に家族とともに江戸に出た。7歳で浮世絵師・歌川国芳のもと ...

土浦藩士から浮世絵師に転身した磯田湖龍斎

2024/12/11  

磯田湖龍斎「俳諧女夫まねへもん 二十四」 江戸時代中期の浮世絵師・磯田湖龍斎(1735-不明)は、土浦藩土屋家の藩士だったが、浪人となり、その後浮世絵師に転身したとされる。雅号の「湖」は霞ヶ浦にちなん ...

昭和期の水彩運動の担い手として活躍した春日部たすくと渡部菊二

2021/7/6  

渡部菊二「勤労の娘たち」福島県立美術館蔵 会津若松市に生まれた春日部たすく(1903-1985)は、会津中学に入学して図画教師・半沢松吉に水彩画を学んだ。当時の会津中学は「後素会」という美術クラブがあ ...

明治・大正生まれの福島県の日本画家

2024/12/11  

猪巻清明「兜虫」 明治・大正期に活躍した福島県の日本画家としては、官展系では、勝田蕉琴、荻生天泉、湯田玉水、坂内青嵐、太田秋民らがいる。彼らは、福島県出身の在京日本画家の結束と研鑽を主眼として大正8年 ...

日本の豊かな自然とそこに生きる人々の姿を生涯描き続けた酒井三良

2024/12/13  

酒井三良「災神を焼く残雪の夜」 福島県大沼郡宮下村(現在の三島町)に生まれた酒井三良(1897-1969)は、明治44年、地元の小学校を卒業後、上京して叔父のもとに身を寄せ、東京の中学校に入学した。し ...

太夫と才蔵が面白おかしく掛け合いをする「会津万歳」をこよなく愛し、万歳の画家とも呼ばれた坂内文石

2021/7/6  

坂内文石「会津万歳図」 猪苗代湖畔の湊村に生まれた坂内文石(1865-1930)は、14歳の時に本郷の陶画師・水野雪渚に絵の手ほどきを受け、師の勧めで本郷焼の陶画の仕事に就いた。さらに四条派の遠藤霞村 ...

12歳で体験した戊辰戦争を語り伝え、「白虎隊自刃之図」を描いた佐野石峰

2021/7/6  

佐野石峰「白虎隊自刃之図」 会津に生まれた佐野石峰(1857-1942)は、幼いころから藩の北素読所に入って漢学を修め、のちに橋爪助次郎、福田為之進に詩文を学んだ。明治4年に青森県の三ノ戸学校に入学、 ...

会津に初めて西洋画法を伝えた遠藤香村

2021/7/6  

遠藤香村「西洋喫茶図」 南大戸村香塩(現在の会津若松市)の農家に生まれた遠藤香村(1787-1864)は、幼いころから画を好み、会津藩絵師・田村観瀾に狩野派を学んだとされるが、経歴には不詳な点が多い。 ...

幼いころから亜欧堂田善の実家に出入りし一番弟子となった遠藤田一

2021/7/6  

遠藤田一「佃島南望之図」 須賀川加治町の商家・恵比須屋に生まれた遠藤田一(1765-1834)は、幼いころから絵を好み、隣町で染物屋を営んでいた亜欧堂田善の実家に出入りし、田善や兄の永田崑山に絵の手ほ ...

亜欧堂田善に師事した須賀川派の洋風画家・安田田騏

2021/7/6  

安田田騏「象のいる異国風景図」 実用的銅版画を完成させ、洋風画家として名を成した亜欧堂田善の出現によって、須賀川地方を中心に、田善の影響を受けながら洋風画の画業を受け継ぐものたちが出てきた。これらの画 ...

実用的銅版画を完成させた須賀川の洋風画家・亜欧堂田善

2024/12/11  

亜欧堂田善「両国図」絹本油彩 洋風画の開拓者・平賀源内(1728-1780)が秋田藩を訪れた際に、小田野直武(1749-1780)、佐竹曙山(1748-1785)に西洋画法を伝えて「秋田蘭画」が誕生し ...

橋本雅邦に学び禅的作品を多く描いた加藤雪窓

2021/7/6  

加藤雪窓「漁夫図」本間美術館蔵 秋田県本庄市に生まれた加藤雪窓は、幼いころに父母を失い、11歳の時から祖父に育てられた。絵は10歳のころから小室怡々斎に手ほどきを受け、書を大越関石に学んだ。祖父は雪窓 ...

遠近法を用いて「湯殿山道中版画」を描いた狩野派の絵師・早坂義川

2021/7/6  

早坂義川「湯殿山道中一覧」より「八日町道者宿」左端の「湯殿山大権現」の幟が立っているのは誓願寺で、南側にならぶ店、町に出かける着流しの参詣客、客を招く女たちなど賑やかな町の様子が描かれている。 江戸初 ...

庄内地方に鳥羽絵風の戯画を数多く残した土屋鴎涯

2021/7/6  

土屋鴎涯「楽しい庄内方言まんが-鳥羽画 磯釣之部 五-」より。磯釣りの様子をコミカルに描き、場面ごとに庄内弁で文章が添えてある。上図は「釣り場で」の章から「俺までひっぱるな」図中庄内弁の意味:なんとい ...

秋田の風物を軽妙な筆致で描いた館岡栗山

2021/7/6  

館岡栗人「かまくら」 館岡栗山(1897-1978)は、馬川村(現在の五城目町)の農家に生まれ、秋田師範に入ったが病弱だったため1年たらずで中退、京都に出て、昭和3年から近藤浩一路に師事した。昭和8年 ...

秋田の田園風俗を描いた高橋萬年

2021/7/6  

高橋萬年「雀小屋」 秋田市に生まれた高橋萬年(1897-1956)は、16歳で上京し、寺崎広業に師事した。健康を損ねて1年半で帰郷するが、広業からは、画材の扱い方や線に対する厳しい態度を学んだ。帰郷後 ...




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