風俗図・日常風景

飯田を訪れた富岡鉄斎に師事した安藤耕斎

2021/10/22  

左から、安藤耕斎「東坡三養図」「山庭夏涼図」「蝦蟇・鉄拐仙人図」 伊那谷には、古くから白隠や谷文晁ら多くの文人墨客が訪れ、この地の若者たちに大きな影響を与えているが、明治8年に初めて飯田を訪れた富岡鉄 ...

古曳盤谷門下の三筆、藤森桂谷・窪田松門・丸山素屋

2021/9/10  

藤森桂谷「南瓜之図」 古曳盤谷は松本の飯田町に寄寓し、医業のかたわら南画や漢詩文の家塾を開き、多くの門人を育てた。主な門人としては、啓蒙運動家として活動し、国民教育の先覚者でもあった藤森桂谷、自由民権 ...

松本における近代日本画の基礎を築いた仙石翠淵

2021/9/3  

仙石翠淵「養蚕の図」 仙石翠淵(1801-1885)は、筑摩郡埴原村(現在の松本市中山)に生まれた。生家は、胡桃澤膏薬本舗として近郷に知られていた。幼いころから書画を好み、独学で画を学んだが、49歳の ...

ペリー応接に同席し写生した松代藩医師・高川文筌

2021/8/25  

高川文筌「米利堅人等写真図」 嘉永6年(1853)、ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に現れると、松代藩は品川に設けられた台場の警衛を担当し、翌7年のペリー再来航でも、横浜に設けられた応接場の警衛を小倉藩 ...

パリの人々の生活を描いた増田誠

2021/8/2  

増田誠「モンパルナスの夜」 増田誠(1920-1989)は、山梨県南都留郡谷村町(現在の都留市)に生まれた。幼いころから絵が得意で、中学時代には「似顔絵の天才」といわれていたという。昭和16年に従軍、 ...

洋画から転じ水墨画に新境地を拓いた近藤浩一路

2021/7/5  

近藤浩一路「鶏冠井青嵐」 近藤浩一路(1884-1962)は、山梨県南巨摩郡睦合村(現在の南部町)に生まれ、3歳の時に病弱な父の療養のため一家で静岡県岩渕村(現在の富士市岩淵)に転居した。幼いころから ...

日本南画の先駆者のひとり・柳沢淇園

2021/7/5  

柳沢淇園「睡童子図」 大和郡山藩で柳沢吉里・伊信の二代に任えた柳沢淇園(1703-1758)は、早熟多才で、なかでも画才に恵まれ、8、9歳頃から狩野派を学んでいたが、12、3歳の時には狩野派を骨髄を得 ...

24歳の時に行方不明となった幻の版画家・藤牧義夫

2021/7/5  

藤牧義夫「赤陽」東京国立近代美術館蔵 藤牧義夫(1911-1935)は、明治44年、群馬県邑楽郡館林町(現在の館林市城町)に生まれた。2歳の時に実母を亡くし、13歳の時には父親も病没した。さらに、16 ...

文芸も絵画も独学で学んだ福田貂太郎

2021/7/5  

福田貂太郎「『いくさのにはの人通り』口絵」 福田貂太郎(1903-1991)は、明治36年前橋市に生まれた。前橋市立桃井尋常高等小学校を5年1学期に中退してから、以後、正規の学校教育を受けることはなか ...

玉村宿で地方絵師として活躍した千輝玉斎

2021/7/5  

千輝玉斎「豊年満作襖絵」(水争いの部分) 千輝玉斎「豊年満作襖絵」(田植えの部分)「豊年満作襖絵」は四枚仕立ての襖絵。万延元年の制作で、上野国の農民の暮らしぶりを伝えている。 千輝玉斎(1790-18 ...




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