「風俗図・日常風景」 一覧

秋田の風物を軽妙な筆致で描いた館岡栗山

館岡栗山(1897-1978)は、馬川村(現在の五城目町)の農家に生まれ、秋田師範に入ったが病弱だったため1年たらずで中退、京都に出て、昭和3年から近藤浩一路に師事した。昭和8年院展に初入選し、師の浩 ...

秋田の田園風俗を描いた高橋萬年

秋田市に生まれた高橋萬年(1897-1956)は、16歳で上京し、寺崎広業に師事した。健康を損ねて1年半で帰郷するが、広業からは、画材の扱い方や線に対する厳しい態度を学んだ。帰郷後も中国の古風俗考証を ...

秋田の近代日本画の礎を築いた小室怡々斎

小室怡々斎(1837-1900)は、秋田藩御用絵師の津村洞養に学び、狩野派ではあるが容斎派の前賢故実などを研究し、人物背景、調度などは粉本によらず、研究して描いていたという。廃藩後は一時役人になったが ...

人生の大半を旅に暮らし各地で得た見聞や体験を日記や地誌に描き残した菅江真澄

三河国で生まれた菅江真澄(1754-1829)は、30歳の時に故郷を離れ、信濃、越後、蝦夷地、下北、津軽、秋田と歩き、その人生の大半を旅に暮らした。はじめは白井英二、秀超、秀雄などと称していたが、48 ...

秋田蘭画を受け継ぎ江戸系洋風画へと展開させた司馬江漢

秋田蘭画は、小田野直武、佐竹曙山を中心に盛り上がりをみせたが、安永8年、直武に西洋画法を伝授した平賀源内の死去にはじまり、翌年には直武が、その5年後には曙山も死去し、創始に関わった人物の相次ぐ死により ...

仙台の浮世絵師・熊耳耕年

仙台・芭蕉の辻の一角に店を構える仕立屋・大澤屋の二男として生まれた熊耳耕年は、裕福な幼年時代を過ごしたが、13歳の時に店が傾き、翌年父が亡くなった。死の直前に父に店を託された耕年だったが、結局どうする ...

明治の女子美術教育に大きく貢献した武村耕靄

東京女子師範学校で絵画と英語を教え、明治の女子美術教育に貢献した武村耕靄は、仙台藩士・武村仁佐衛門の長女として江戸仙台藩邸に生まれた。母の留勢子は耕靄が6歳の時に没したため、直接指導を受けることはなか ...

岩手初の美術団体「彩友会」を創設した葛江月

盛岡に生まれた葛江月(1880-1918)は、地元の中学を中退して上京、翌年東京美術学校日本画科に入学した。卒業後は盛岡に戻り、中学の図画教師をつとめながら制作活動をおこない、明治38年に、日本画家の ...

青森県の創作版画の祖・今純三

大正時代に、青森県の文化面に大きな影響を与えた「六花会」やその後に結成された「白躍会」で活躍した洋画家に今純三(1893-1944)がいる。今純三は弘前市に生まれ、小学校卒業後に一家で上京した。明治4 ...

英国に帰化した水彩画家・松山忠三

青森県の洋画家で最も早く海外に渡ったのは、水彩画家の松山忠三(1880-1954)とされる。松山は、北津軽郡板柳町の大地主の家に生まれた。生家は、津軽随一の大長者といわれた井筒屋の別家にあたるが、父親 ...

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