風俗図・日常風景

24歳の時に行方不明となった幻の版画家・藤牧義夫

2021/7/5  

藤牧義夫「赤陽」東京国立近代美術館蔵 藤牧義夫(1911-1935)は、明治44年、群馬県邑楽郡館林町(現在の館林市城町)に生まれた。2歳の時に実母を亡くし、13歳の時には父親も病没した。さらに、16 ...

文芸も絵画も独学で学んだ福田貂太郎

2021/7/5  

福田貂太郎「『いくさのにはの人通り』口絵」 福田貂太郎(1903-1991)は、明治36年前橋市に生まれた。前橋市立桃井尋常高等小学校を5年1学期に中退してから、以後、正規の学校教育を受けることはなか ...

玉村宿で地方絵師として活躍した千輝玉斎

2021/7/5  

千輝玉斎「豊年満作襖絵」(水争いの部分) 千輝玉斎「豊年満作襖絵」(田植えの部分)「豊年満作襖絵」は四枚仕立ての襖絵。万延元年の制作で、上野国の農民の暮らしぶりを伝えている。 千輝玉斎(1790-18 ...

館林を中心に東毛地方に多くの絵馬を残した北尾重光

2021/7/5  

北尾重光「大工図」館林市赤城神社当時の人々のくらしや生業の様子を描いた生業図は、北尾重光の絵馬の特徴のひとつで、かつての人々の生活の実情をうかがい知ることができる。 江戸に生まれた北尾重光(1814- ...

高木勇次ら栃木ゆかりの洋画家

2021/7/6  

高木勇次「車窓」 ともに足利市に生まれた高木勇次(1911-2004)と原田平治郎(1911-1999)は、幼馴染として育った。高木は小学校卒業後、15歳で上京し鉄鋼販売に従事しながら絵を描いていたが ...

ニューヨークで食器デザインと油彩を手がけた古田土雅堂

2021/7/6  

古田土雅堂「地下鉄の雑踏」 栃木県芳賀郡中川村(現在の茂木町)に生まれた古田土雅堂(1880-1954)は、上京して東京美術学校日本画科に学び、卒業して間もなくアメリカに渡った。シカゴで働きながら美術 ...

20世紀初頭のアメリカで独自の画風を確立させた清水登之

2021/7/6  

清水登之「ニューヨーク、寄のチャイナタウン」栃木県立美術館蔵 清水登之(1887-1945)は、栃木県下都賀郡国府村(現在の栃木市)の大地主の家に生まれた。絵画好きの父の影響で、子どものころから絵に親 ...

初期文展で活躍し挿絵や口絵も多く手がけた橋本邦助

2021/7/6  

左:橋本邦助「窓」、右:橋本邦助「帽子屋」 栃木町(現在の栃木市)の紙類商の家に生まれた橋本邦助(1884-1953)は、17歳で東京美術学校西洋画科選科に入学し黒田清輝に師事した。入学後の成績が優秀 ...

洋画から日本画に転じ脱俗の精神を貫いた小杉放菴

2023/9/28  

小杉放菴「立石寺」栃木県立美術館蔵 日光の神官の子として生まれた小杉放菴(1881-1964)は、15歳の時に中学校を中退し、日光に住んでいた初期洋画家の五百城文哉の内弟子となった。師の文哉は水戸出身 ...

幕末幻の油絵師・島霞谷

2021/7/6  

島霞谷「子供灰神楽」 「近代洋画の父」と称される高橋由一(1828-1894)は、下野国佐野藩の江戸藩邸に生まれた栃木県ゆかりの画家だが、高橋家は定府だったため江戸住まいで、参勤交代で国元に帰ることも ...




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