風俗図・日常風景

弘前藩絵師・今村家

2021/7/6  

伝今村養淳惟慶「弘前八幡宮祭礼図」のうち茂森町山車「大根山」(部分) 弘前藩のお抱え絵師・今村家の初代・今村朴元常慶(不明-1729)は、少年期に京都から江戸に出て、狩野常信の門に入り絵を学んでいたと ...

「北海道日本画協会」を創設した本間莞彩

2021/7/6  

本間莞彩「夕陽の北海」北海道立近代美術館蔵 北海道の近代美術にあって、華やかに展開していった洋画の陰にかくれ、北海道の日本画は久しく精彩がなかった。北海道では日本画は育たないといわれ、それが半ば定説化 ...

貧乏画家の街を「池袋モンパルナス」と名付けた詩人・小熊秀雄

2021/7/6  

小熊秀雄「夕陽の立教大学」 大正末期から昭和にかけて、それまで低湿地帯だった池袋は急速に発展し、新興都市へと大きく姿を変えていった。街にはミルクホールやバーが次々と生まれ、酔客で賑わう繁華街が生まれた ...

北海道からいち早く中央画壇に登場した日本画家・筆谷等観

2021/7/25  

筆谷等観「春寒賜浴」 北海道美術協会(道展)の創立によって北海道美術が本格的に始動するようになったが、その一方で、北海道生まれ第一世代の美術家たちの中央画壇進出も目立ってきた。日本画家としては、院展の ...

北海道生まれ第一世代の美術家を育てた林竹治郎

2021/7/6  

林竹治郎「朝の祈り」北海道近代美術館蔵 明治30年代になって、東京美術学校出身の2人の美術教師が、いわば美術の開拓使の役割を担い、相次いで札幌に移住してきたのが、北海道美術の本格的なはじまりといえる。 ...

アイヌ絵の終焉後もアイヌを主題に描いた木戸竹石

2021/7/6  

木戸竹石「鮭漁図屏風」北海道開拓記念館蔵 明治9年に没した平沢屏山は、最後のアイヌ絵師と称され、その屏山の死をもってアイヌ絵は終焉したとされている。アイヌ絵のおおまかな定義としては「鎖国下にふくらむ好 ...

函館に滞在してアイヌを主題にした絵を描いた平福穂庵

2021/7/6  

平福穂庵「アイヌ鮭漁図」 平福穂庵(1844-1890)は、秋田の角館町に生まれ、7歳で同じ町内に住んでいた四条派の武村文海に画を学び、17歳で本格的に絵を学ぶべく京都に出たが、師には就かず、写生や古 ...

養父の仕事を引継ぎ『蝦夷生計図説』を完成させた村上貞助

2021/7/6  

村上貞助『蝦夷生計図説』のうち「チッフ(舟)の部・舟材の切り出し」 寛政11年の蝦夷地大調査に参加し『蝦夷島奇観』を著した村上島之允は、その後も蝦夷地の風俗や器物をさらに詳述した続編を著していたが、完 ...

谷文晁の実弟・谷元旦が描いた蝦夷地

2021/7/6  

谷元旦「毛夷武餘嶋図」 寛政11年の幕命による蝦夷地大調査には、谷文晁の実弟・谷元旦(1778-1840)も産物調査の一員として参加していた。元旦がこの調査に参加したのは、15歳年長の兄・文晁が仕えて ...

幕府の蝦夷地調査に同行し『蝦夷島奇観』を著した村上島之允

2021/7/6  

村上島之允『蝦夷島奇観』古説部 女神窟居図(祖先となるシツナイに流れ着いた女神の伝説) 1799(寛政11)年、異国船が頻繁に接近する蝦夷地の情勢に危機感を募らせた江戸幕府は、180人に及ぶ大調査団を ...




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