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江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま東北地方を探索中。

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太夫と才蔵が面白おかしく掛け合いをする「会津万歳」をこよなく愛し、万歳の画家とも呼ばれた坂内文石

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坂内文石「会津万歳図」

猪苗代湖畔の湊村に生まれた坂内文石(1865-1930)は、14歳の時に本郷の陶画師・水野雪渚に絵の手ほどきを受け、師の勧めで本郷焼の陶画の仕事に就いた。さらに四条派の遠藤霞村にも画法を学んだ。明治37年に改組された福島県立工業学校では、窯業科陶画科の教諭となり、退職後も同校で後進の指導にあたった。

工業学校教諭時代には、主として戯画を描いている。民謡や風刺を題材としたものが多く、「盆踊り図」「神楽図」など、自由な筆運びで人々をユーモラスに表現しており、なかでも、太夫と才蔵が面白おかしく掛け合いをする「会津万歳」をこよなく愛し、万歳の画家とも呼ばれている。

会津万歳(あいづまんざい)とは、旧正月の年頭に、太夫と才蔵が二人一組で各家をまわり新年の祝詞を歌ったり踊ったりする会津地方に伝わる民俗芸能で、まず「御家繁盛、家内安全」などと万歳出しをし、その後「そもそも鶴は千年、亀は万年」と口上して太夫と才蔵の掛け合い万歳となる。鼓を打ちながら踊っているのが才蔵。

坂内文石(1865-1930)ばんない・ぶんせき
慶応元年湊村(現在の会津若松市湊町)生まれ。小川文一郎の二男。本名は文三郎。別号に馬角斎がある。実家は代々旅館業を営んでいた。幼いころに同じ村の坂内家の養子となり、坂内姓を名乗った。明治16年、14歳の時に陶工を志し、本郷村の陶師・水野雪渚の弟子となり、陶芸のかたわら本格的な絵の手ほどきを受け、師の勧めで本郷焼の陶画の仕事に就いた。さらに、四条派の遠藤霞村に師事した。明治34年、本郷窯業徒弟学校の創立にともない助教諭心得、模型科担当となった。明治37年、新たに若松市に県立工業学校が改組されると、同校助教諭心得、窯業科陶画科担当となった。その後助教諭に昇進して、大正13年の退職後も同校の教授嘱託として指導にあたった。昭和5年、65歳で死去した。

福島(22)-ネット検索で出てこない画家

文献:会津の絵画と書、会津人物事典(画人編)







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