画人伝・島根 狩野派 花鳥画

出雲松江藩御用絵師・狩野永雲とその画系

狩野永雲「春秋花鳥図」島根県立美術館蔵

出雲国では、徳川家康の孫にあたる松平直政が寛永15年に松江に入り、松江藩初代藩主となった。松江藩の絵師としては、直政が越前時代に召抱えられたとみられる大田弥兵衛(不明-1659)が、江戸詰めの松江藩御用絵師をつとめ、その子・狩野永雲(不明-1697)が、二代藩主綱隆に仕えて御用絵師を継いだ。永雲は父に画法を学び、のちに江戸中橋の狩野安信に師事、画技が認められ狩野姓を許され、法橋に叙された。永雲の長男・狩野永玄(不明-1730)も江戸に住み御用絵師をつとめたが、孫の狩野永玄(不明-1730)が江戸で乱心自殺をしたため、永雲の画系は途絶えた。

狩野永雲(不明-1697)
出雲生まれ。本姓は大田氏。名は稠信。父の弥兵衛は松江藩祖・松平直政に仕え御用絵師をつとめた。永雲は父から画法を学び、寛永20年には徳川幕府の御用絵師だった江戸中橋の狩野安信に師事し、画技が認められ狩野姓を許された。寛文7年から松江藩二代藩主・綱隆に仕え、翌年法橋に叙せられた。狩野派の伝統を継いだ堅実な画風で、鷹の図、花鳥画を得意とした。作品は松江市平浜八幡宮の「白鷹図絵馬」や、松江市月照寺の「仏涅槃図」などが残っている。元禄10年死去した。

松平綱隆(1631-1675)
寛永8年江戸生まれ。松平直政の長男。幼名は久松丸。狩野永雲を師として画技を学び、歴代藩主の中でも最も絵画に長じ、鷹の画や仏画を得意とした。松江神社、月照寺に作品が残っている。延宝3年、45歳で死去した。

大田弥兵衛(不明-1659)
狩野永雲の父。生国は不明だが、寛永年間に越前大野において採用されたとされ、松平直政の越前時代に召抱えられたと考えられる。その後江戸詰めの松江藩御用絵師となった。万治2年死去した。

狩野永元(不明-1704)
江戸に生まれ。狩野永雲の長男。名は秋信、大田氏三代。松江藩御用絵師として岩本町に住んだ。宝永元年死去した。

狩野永玄(不明-1730)
狩野永雲の孫。宝永元年家督を継いで松江藩御用絵師になった。享保14年、江戸において乱心自殺したため、永雲の画系は途絶えた。

島根(1)-画人伝・INDEX

文献:島根の美術、島根の近世絵画展、出雲ゆかりの芸術家たち




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