画人伝・大阪 円山四条派 日本画家 静物画

船場派を率いる先達の役割を果たした西山完瑛

西山完瑛「鸚鵡図」

西山完瑛「鸚鵡図」

西山完瑛(1834-1897)は、四条派の西山芳園の子として江戸後期の大坂に生まれた。父の芳園は、大坂に四条派を流行らせたとされる画家で、完瑛もその伝統を受け継ぎ、温雅で洒脱な人物花鳥を得意とし、西山派と呼ばれる一派を率いた。

当時の大坂には、西山派のほかにも京都の四条派の流れを汲む画家たちの一派がおり、明治期に京都から大阪に移り住んだ深田直城や、「船場の絵描き」として生きた庭山耕園らの系譜がそれにあたる。彼らの多くが大阪の商家が集う船場界隈に住み、主な顧客も船場の人々だったことから、大阪中之島美術館で開催された展覧会「大阪の日本画」ではこの一派を「船場派」と総称している。

「船場派」の画家たちは、裕福な市民をパロトンに持ち、公募展にはほどんど出品せずに、大阪の人々が好む、あっさり、すっきりしたスマートな作品を描いたという。

西山完瑛(1834-1897)にしやま・かんえい
天保5年大坂生まれ。父は西山芳園。名は謙、字は子受、通称は謙一郎。幼いころから父に画を学び、大阪四条派の伝統を受け継ぎ、温雅で洒脱な人物花鳥を得意とした。また、後藤松陰の私塾広業館で儒学を学び明石藩に仕えた。明治17年に開校した浪華画学校にも守住貫魚、狩野永祥、上田耕冲森琴石らとともに関係したとされる。芳園門下の久保田桃水とともに古き浪速の名勝地を描いた画帖を多く手掛けた。明治19年大阪の書肆前川善兵衛から彩色木版による『完瑛画譜』を刊行した。明治30年、64歳で死去した。

参考記事:UAG美人画研究室(西山完瑛)

大阪(94)-画人伝・INDEX

文献:サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、大阪の日本画、上島鳳山と大阪の画家たち、日本の花鳥画、近世の大阪画人




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