根井南華(1883-1960)は、明治、大正、昭和にかけて活躍した佐土原の南画家である。南画の盛んな延岡から宮崎に移り住んでいた鈴木月谷に師事し、さらに佐藤小皐にも学んでいる。その作品や人物、画業については、あまり知られていないが、南画様式の花鳥山水が中心である。作品には、勉強のために模写したものや、宮崎の四季折々の風物を描いたものがあり、佐土原の夏祭りを描いた6.28メートルの巻物や、月ケ瀬梅林を描いた7.22メートルの巻物が残っている。
根井南華(1883-1960)
明治16年佐土原町生まれ。旧佐土原藩医・飯田洞敬の二男。名は幹夫。別号に梅庵がある。父の洞敬は明治になって佐土原町八日町に開業、内科、外科などよろず診察をしたが眼科が得意で、「ねい、めぐすり」と町民に親しまれていた。南華は、明治29年13歳の時に同じ佐土原町内の開業医・根井助太郎の養子になった。明治31年佐土原尋常高等小学校を卒業し、旧制宮崎中学校に入学したが、脚気のため4年生の時に退学。生涯この病気に悩まされたという。明治36年から宮崎に移り住んでいた鈴木月谷に師事し、そのかたわら宮崎市の表具師・松浦重幸について表装の技術を学んだ。明治37年に佐土原の小学校の代用教員となり図工教師を数年つとめたが、明治40年に月谷が没したため、翌年上京して滝和亭の弟子にあたる村上委山に花鳥を、木村香雨に山水と四君子を学んだ。明治42年帰郷し絵と表具を仕事とした。大正13年に佐藤小皐と出会い、小皐が没するまで指導を受けた。昭和35年、76歳で死去した。
宮崎(16)-画人伝・INDEX
文献:宮崎県総合博物館研究紀要12号「根井南華展によせて」、宮崎県地方史研究紀要第12号「宮崎の近代美術」、郷土の絵師と日本画家展