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大正期の新興美術運動で活躍し、突如詩人に転身した尾形亀之助

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尾形亀之助「化粧」

尾形亀之助は、大正期の新興美術運動のなかで華々しく活躍していながらも、突如として美術界から姿を消し、その後は詩人に転身した。美術活動期間は実質わずか2年だったが、美術運動形成期の重要な局面に登場し、その足跡を残している。現在確認されている作品は、掲載の「化粧」1点のみである。

大正期新興美術運動とは、大正9年の「未来派美術協会」の結成に始まり、大正11年の二科会の前衛グループによる「アクション」の結成、大正12年の村山知義と未来派美術協会の作家たちによる「マヴォ」の結成など、短い期間に矢継ぎ早に団体の結成が続き、大正13年にはこれらの団体が合流して「三科」が結成され展覧会を開催するが、翌年の大正14年の三科第2回展の会期中に突然空中分解して事実上おわってしまう美術運動のことをいう。

尾形亀之助がこの美術運動にかかわったのは、大正10年の第2回未来派美術協会展、翌年の三科インデペンデント展(第3回未来派美術協会展)、大正12年「マヴォ」の創立と第1回展、二科落選画歓迎移動展、震災後のANTIISM展だった。しかし、「マヴォ」第2回展を最後に美術活動を止め、その後は詩作に専念した。

尾形亀之助(1900-1942)おがた・かめのすけ
明治33年大河原町生まれ。東北学院中等部に学び、17歳の頃から絵と短歌、詩を手がけた。大正10年に上京し、木下秀一郎のすすめで本格的に絵を始め、同年第2回未来派美術協会展に出品、翌年には三科インデペンデント会員となった。大正12年村山知義らの「マヴォ」結成に参加したが、翌年から絵画制作をやめ詩作活動に入った。大正14年に第一詩集『色ガラスの街』を刊行、草野心平との交友が始まった。昭和7年帰郷し、仙台の官吏になった。持病のぜんそくに苦しみ、昭和17年、43歳で死去した。

文献:東京の肖像1920’S、仙台市史特別編3(美術工芸)、仙台画人伝、宮城洋画人研究

日本のアヴァンギャルド芸術―“マヴォ”とその時代
青土社









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