歴代の仙台藩主は、初代の伊達政宗をはじめ、文武両道にすぐれ、書画をよくした。特に三代綱宗、五代吉村は多くの絵画作品を残している。綱宗は、放蕩三昧だったため21歳で隠居させられ、その後の50余年を芸道に生き、絵画、刀剣、工芸など多くの作品を残している。吉村は、画を狩野栄川古信に学び、絵画の鑑識にも長けていたと伝わっている。
掲載の「六所玉河和歌御手鑑」は、古歌に詠まれ「六玉川」と称されてきた井出(京都)、三島(大阪)、高野(和歌山)、野路(滋賀)、調布(東京)、野田(宮城)の6つの玉川のそれぞれの古歌を書き付けるとともに、その歌意を描いたもので、本作はその一。
伊達綱宗(1640-1711)だて・つなむね
寛永17年生まれ。仙台藩三代藩主。幼名は巳之助丸。忠宗の第六子。承応3年元服して藤次郎と称し、将軍家綱より綱の一字を拝領した。万治元年に藩主を継承するが、万治3年に幕命により品川藩邸に隠居させられた。その後は一切の政事から身を引き、絵画、和歌、鍛刀などの芸道に生きた。画は狩野探幽に学んだ。正徳元年、72歳で死去した。
伊達吉村(1680-1751)だて・よしむら
延宝8年生まれ。仙台藩五代藩主。一問宮床の伊達宗房の子として生まれ、宗家を継いだ。初名は村房。元禄16年藩主となり、藩政の整備と財政の建て直しをはかり「中興の英主」と称された。文芸にも造詣が深く、特に和歌と書に優れ、『隣松集』『続隣松集』などの私家集がある。画は狩野栄川古信に学んだ。宝暦元年、71歳で死去した。
宮城(4)-画人伝・INDEX
文献:仙台画人伝、続・仙台画人伝、仙台市史通史編4(近世2)、仙台市博物館館蔵名品図録、福島美術館優品図録