祥啓の門弟のひとりに、建長寺の僧となり、のちに常州水戸に住んだ長柳斎(不明-不明)がいる。最初の画史といわれる『丹青若木集』によると、祥啓とその周辺の系譜のなかで、可卜(長柳斎)と性安の名があげられている。系譜のなかで可卜は、仲安真康の下に祥啓とともに名を連ねており、傍注には「啓書記法眷」とあるが、画風から見て実際には祥啓の弟子だろうと考えられている。
長柳斎が水戸のどこに住んでいたかを具体的に記している資料はないが、当時の臨済禅が行なっていた水戸および周辺への布教活動のなかでの位置付けは推測可能と思われる。関東水墨画のなかに「棟隠」「植玉」などと押印された作品を一様に長柳斎の作品としているが、再検討が必要との指摘もある。
長柳斎(不明-不明)ちょうりゅうさい
別号に可卜、棟隠子がある。鎌倉建長寺の住職で、画を啓書記に学び、人物、山水をよくした。建長寺の僧をつとめ、のちに常陸の水戸に住んだという。
茨城(2)-画人伝・INDEX
文献:茨城の画人、茨城県立歴史館報(12)、型とイメージの系譜 関東水墨画、中世にみる型とイメージの系譜 関東水墨画の200年