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戦後の北海道美術
戦後、北海道の美術界は、新しい公募団体の創設やさまざまな美術グループの誕生によって大きく再編成されるようになった。まず、終戦直後の昭和20年、「全道美術協会」(全道展)が創設された。創立会員は居串佳一 ...
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「北海道日本画協会」を創設した本間莞彩
北海道の近代美術にあって、華やかに展開していった洋画の陰にかくれ、北海道の日本画は久しく精彩がなかった。北海道では日本画は育たないといわれ、それが半ば定説化され、日本画の発展を阻んでいたともいえる。そ ...
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「生れ出づる悩み」のモデルとなった木田金次郎
有島武郎の小説「生れ出づる悩み」のモデルとして知られる木田金次郎は、生涯生まれ故郷の岩内に留まり、自らの画業を極めている。小説では少年(木田)が、スケッチを携えて私(有島)を訪ねるところから始まり、数 ...
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エコール・ド・パリの画家・小柳正
1920年から30年代のパリには、伝統を学び、新しい思潮を吸収するため、世界各国から芸術家たちが集まっていた。そんなパリで生活し創作を続ける芸術家たちのことを総称して「エコール・ド・パリ」と呼んだ。北 ...
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和製ゴーギャンと呼ばれた上野山清貢
上野山清貢は、比較的早い時期に上京して北海道を離れたが、その後も絶えず東京と北海道を往来し、長く中央画壇で活躍するとともに、北海道美術の発展にも中心的役割を果たした。ゴーギャンに憧れ、その芸術の真髄に ...
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貧乏画家の街を「池袋モンパルナス」と名付けた詩人・小熊秀雄
2018/08/24 -画人伝・北海道, 文学者, 池袋モンパルナスの画家, 風俗図・日常風景
大正末期から昭和にかけて、それまで低湿地帯だった池袋は急速に発展し、新興都市へと大きく姿を変えていった。街にはミルクホールやバーが次々と生まれ、酔客で賑わう繁華街が生まれた。そうしたなか、まだ地価の安 ...
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「何か醗酵している美しさ」と評された山本菊造
昭和8年に三岸好太郎を中心に結成され、同年第1回展が開催された「北海道独立美術作家協会」だが、同会結成時にはすでに没していた二人の画家の作品も展示された。三岸をして「彼によって北海道にフォーヴィスムの ...
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三岸好太郎とともに上京し、25歳で没した俣野第四郎
三岸好太郎の無二の親友だったのが、札幌第一中学出身で三岸より1歳年上の俣野第四郎である。二人は一緒に上京し、貧しい共同生活のなか、励まし合い、刺激し合いながらともに画家を目指した。しかし、中学時代から ...
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北海道独立美術作家協会の画家たち
昭和8年の第3回独立展開催後、三岸好太郎を指導者的立場として、北海道出身および在住者による「北海道独立美術作家協会」が結成され、7月には札幌三越で展覧会が開催された。彼らは、フォーヴィスム、キュビスム ...
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31歳で急逝するまで画風を次々と変貌させていった三岸好太郎
昭和5年、新時代の美術を目指す気鋭の画家たちが、既成画壇からの独立を標榜して、新団体「独立美術協会」を結成した。この美術界の注目を集めた新団体に、27歳の最年少会員として参加したのが、北海道の若い画家 ...