画家略歴

茨城(9)-ネット検索で出てこない画家

道口雪窓 どうぐち・せっそう
水戸の人。名は貞徳。立原杏所に学び、のちに松平雪山の門人となる。杏所の偽筆をよくしたといわれる。元治元年死去。

成田益親 なりた・ますちか
名は小次郎。石岡の総社三十六歌仙の裏書に揮毫がしてある。

中村文彬 なかむら・ぶんぴん
水戸市下青物町の人。名は淑徳、通称は与一左衛門。谷文晁に学び、花鳥をよくした。天明の中頃死去。

中村竹圃 なかむら・ちくほ
天保12年生まれ。新治郡土浦の人。名は邦敬。福島柳圃に学び、花鳥山水を得意とした。明治初年頃死去。

中山蘭花 なかやま・らんか
猿島郡岩井町の人。名は盛元。漢籍に通じて詩書をよくした。文人画を描き、四君子を得意とした。明治初年頃死去。

成毛金江 なるけ・きんこう
稲敷郡金江津村の人。名は貞一、丹治ともいった。鯉魚を得意とした。明治6年死去。

生井沢霞洲 なまいざわ・かしゅう
天保元年生まれ。水戸藩御用絵師。常州土浦の人。名は也。狩野永真に学び、山水花鳥を得意とした。明治15年死去。

新堀玄道 にいぼり・げんぞう
号は翠山。北宗画、花鳥草花を得意とした。明治15年第1回内国絵画共進会に出品している。

檜垣素袋 ひがき・そたい
享保元年生まれ。常州鹿島の人。通称は庄右衛門。狩野永真安信の門人。享保20年頃死去。

檜山淡斎 ひやま・たんさい
那珂郡戸田村の人。狩野派を習得して江戸に出て活躍したが詳細は不明。天保13年死去。

平野文蔚 ひらの・ぶんい
水戸市下市の人。名は幸一、別号に暢谷がある。松平雪山の門人で、花鳥を得意とした。

平山文麗 ひらやま・ぶんれい
明治22年生まれ。名は権五郎、叔父の奥村老圃に学び、東京美術学校卒業後、横山大観が五浦に移住した際に入門して文麗と号した。中年より秩父織物会社の図案を描いた。昭和17年、54歳で死去した。

本田正貫 ほんだ・せいかん
駿河の人。名は正憲、号は雲林。画を僧鉄翁に学ぶ。山水3点を第1回内国絵画共進会に出品している。

明中 みんちゅう
常陸水戸の僧。名は如寿。書画をよくした。

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文献:茨城の古書画人名事典




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