在顔 ざいがん
元亀年間頃の人。常州真壁城主右衛門佐平宗幹の子。真壁氏の菩提寺である真言宗遍照院光明寺の住職。教学のほか兵略にも通じ、画もよくした。
性安 しゃうあん
常陸国太田村溝山寺(または耕山寺)の住職。画法を祥啓に学び、梅庵と号した。山水花鳥をよくした。明応年間、82歳で死去した。
春休 しゅんきゅう
常陸水戸の人。天正年間の人。
周黙 しゅうもく
常陸の人。文政年間の人。江戸芝山内に住んでいた。桜井雪館の門人。
島村庭暉 しまむら・ていき
水戸藩士。名は伝、号は南圭。画を内藤右膳(鳳翔)に学び、山水をよくした。安政年間に死去。
下野雪篁 しもの・せんこう
文政6年生まれ。名は遠明、通称は隼次郎。水戸藩士下野遠歴の子。金子教孝の娘婿。慶応元年、43歳で死去した。
下野九峰 しもの・きゅうほう
水戸藩士。名は仁。下野雪篁の子。画を父に学び、のちに松平雪山についた。花鳥を得意とした。
鈴木助三郎 すずき・すけさぶろう
寛政年間の人。水戸藩士桜井才治郎の門人で、桜井雪館と同門。
鈴木東海 すずき・とうかい
享保5年生まれ。名は宝鼎。桜井雪館に師事し、花鳥人物を得意とした。幼少より画を学び、故あって僧となり、奥州、長崎を遍歴し、70歳で水戸祇園寺の住職となった。特に河豚の絵を得意とし、「東海の河豚」として珍重された。享和2年、83歳で死去した。
鈴木素陵 すずき・そりょう
龍ヶ崎砂町の人。江戸に出て狩野素川、章信に師事し法眼となる。仙台侯の求めにより《関ヶ原陣営図》を描いた。嘉永2年死去。
鈴木文鴎 すずき・ぶんおう
文政6年生まれ。水戸市五軒町の人。名は文次郎。宇佐美太奇の門人。元治元年、42歳で死去した。
鈴木萬悦 すずき・まんえつ
水戸家の御絵師見習で、山内勝春の門人。明治初年頃死去。
鈴木東洋 すずき・とうよう
水戸市久保町の人。名は任。椿椿山の門人。明治初年頃死去。
杉浦溟一 すぎうら・めいいち
水戸の人。名は熈。江戸に出て春木南溟に学び、南画山水を得意とした。明治初年頃死去。
茨城(6)-ネット検索で出てこない画家
文献:茨城の古書画人名事典
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