画人伝・京都 円山四条派

円山派2代目を継いだ応挙の長男・円山応瑞

円山応瑞「耕作図」(部分)東京国立博物館蔵

円山応瑞「耕作図」(部分)東京国立博物館蔵

円山応瑞(1766-1829)は、円山応挙の長男として生まれ、応挙らが参加した大乗寺の障壁画制作では「鯉の間」を担当し、寛政期の御所造営にも参加した。応挙没後はその跡を継ぎ、応挙と縁のあった妙法院真親王に同じく厚遇されるなど、円山派2代目として応挙の人脈を受け継いだが、画風も応挙風を忠実に守ったため、独自の色を出すことはなかったといわれる。

円山応瑞(1766-1829)まるやま・おうずい
明和3年京都生まれ。円山応挙の長男。円山派2代目。本姓は源、名は応瑞、字は儀鳳。号は怡真堂で、右近のちに主水と称した。天明7年大乗寺に「遊鯉図」を描き、寛政期の御所造営にも参加した。寛政8年土佐光貞、土佐光孚、鶴沢探索源琦、長沢蘆雪、呉春、松村景文ら138名の画家たちと「新書画展観」を開催。文化6年には、安永5年に応挙が制作し損傷していた八坂神社の「双鶴図」衝立の修復を行なった。花鳥画を得意とした。文政12年、64歳で死去した。

京都(112)-画人伝・INDEX

文献:円山応挙から近代京都画壇、京都画壇の一九世紀(2)、近世やまと絵50選、大乗寺




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