須賀川加治町の商家・恵比須屋に生まれた遠藤田一(1765-1834)は、幼いころから絵を好み、隣町で染物屋を営んでいた亜欧堂田善の実家に出入りし、田善や兄の永田崑山に絵の手ほどきを受けた。雅号の「田一」は、田善の一番弟子ということで付けられたという。
田一の銅版画作品は残っておらず、田善から銅版画技法を学んだかどうかは定かではない。絵馬「佃島南望之図」(掲載作品)は田善の銅版画作品を模写した油彩画の大作で、県指定文化財となっている。また、田善が没した年に描いた日本画の「亜欧堂田善像」は、県重要文化財になっている。晩年は専ら仏画の制作をしたと伝わっている。
遠藤田一(1765-1834)えんどう・でんいち
明和2年須賀川生まれ。本名は忠兵衛。別号に如洋、曙山楼などがあり、晩年は趣雲斎文豊と名乗った。画歴の詳細は不明。亜欧堂田善に洋風画を学んだが、銅版画を学んだかどうかは分かっていない。文政5年、田善が没した年に田善の肖像を描いた。ほかに、須賀川の俳人・石井雨考の肖像も描いている。天保5年、70歳で死去した。
福島(12)-画人伝・INDEX
文献:ふくしま近世の画人たち、亜欧堂田善とその系譜