若狭小浜に生まれた河村虹外(1861-1932)は、南画家の重春塘に師事し京都に住んだ。明治29年には、師の春塘とともに日本南画協会の結成に参加した。酒を愛して逸事が多かったと伝わっている。
明治29年に結成された日本南画協会は、会長を京都博物館長の山高信離、副会長を京都市立美術工芸学校長の今泉雄作と鳩居堂の熊谷直行がつとめ、幹事は河村虹外をはじめ、平尾竹霞、森琴石、池田桂仙、秦金石、奥田天門、田近竹邨、永井香圃、中川柏陰、望野香渓といった画家たちがつとめた。
また、評議員のうち画家は、虹外の師である重春塘、敦賀生まれの内海吉堂をはじめ、富岡鉄斎、前田荷香、関口老雲、浅井柳塘が名をつらねた。
河村虹外(1861-1932)かわむら・こうがい
文久元年若狭小浜生まれ。名は址。京都で重春塘に師事した。明治29年日本南画協会の結成に参加。水郷の悠遠な山水画を得意とした。昭和7年、72歳で死去した。
福井(17)-画人伝・INDEX
文献: 館蔵逸品図録 (敦賀市立博物館)、若狭の人物、京都近代美術工芸のネットワーク