動物画

長尾無墨ら高遠の南画家

2021/10/5  

長尾無墨「百雁図」 長尾無墨(1832-1894)は、高遠藩士の子として生まれ、学問を父と藩の儒者・中村元恒に学んだ。漢学の素養があり詩文にも長じ、特に絵画を得意とし、田能村竹田に私淑して多くの作品を ...

文展で「山羊の画家」として注目され、のちに風景画のスタイルを確立させた辻永

2021/7/6  

辻永「夾竹桃と山羊」茨城県近代美術館蔵 中村彝とほぼ同世代で、文展、帝展で活躍した茨城ゆかりの画家に辻永(1884-1974)がいる。辻は広島の生まれで、父の転勤の関係で生後7ケ月で水戸に移った。中村 ...

幕末・明治初期における南画隆盛の一翼をになった女性南画家・奥原晴湖

2021/7/6  

奥原晴湖「芦雁図」茨城県近代美術館蔵 奥原晴湖(1837-1913)は、古河藩重臣・池田政明の四女として下総国古河城下片町(現在の茨城県古河市)に生まれ、家老の鷹見泉石に学問を学び、藩士の枚田水石に画 ...

林十江や立原杏所とともに「水戸の三画人」といわれた水戸藩士・萩谷セン喬

2021/7/6  

萩谷セン喬 左:「孔雀図」、右「鯉図」ともに水戸市立博物館蔵元は表裏一体の衝立として描かれたもの ※萩谷セン喬の「セン」は「僊」の「ニンベン」をとった字 萩谷セン喬(1779-1857)は、林十江の2 ...

周囲に理解されないまま37歳で世を去った奇才・林十江

2021/7/6  

林十江 左:「木の葉天狗図」茨城県立歴史館蔵、右:「蜻蛉図」 林十江(1777-1813)は、水戸城東の下市に酒造業を営む町人の子として生まれ、隣家で醤油醸造を営む伯父の家に養子に出た。絵を誰に学んだ ...

雪村に院体画法を伝えた常陸太田の耕山寺の僧・性安

2021/7/6  

図1:性安「蟹図」栃木県立博物館蔵 図2:雪村「葛花、竹に蟹図」群馬県立近代美術館蔵 性安(不明-不明)は、雪村と関係の深い常陸国太田村(現在の常陸太田市)の耕山寺の僧で、江戸期の画譜類には祥啓に学ぶ ...

明治生まれの福島県の洋画家

2021/7/6  

斎藤清「競艶」 福島県内における初めての洋風画家としては、須賀川出身の亜欧堂田善がいる。白河藩主・松平定信に認められ、谷文晁に師事し、実用的銅版画を完成させた。明治期に入ると、高橋由一が三島通庸の依頼 ...

奇行で知られた会津の狩野派・萩原盤山

2021/7/6  

萩原盤山「旭日鷲図」法華寺蔵 萩原盤山(1772-1846)は、会津若松城下甲賀町に住み、風変わりな行動の絵師として知られていた。路上で犬や鶏に出会うとじっと観察してその場を離れず、近所に火事があれば ...

上山藩の御用絵師・丸野清耕

2021/7/6  

丸野清耕「山羊図」 丸野清耕は、村山郡楯岡町(現在の村山市)の最上山浄覚寺の三男として生まれ、幼いころから画を好み、のちに江戸に出て中橋狩野家の十四代狩野邦信の門に入り、狩野派の画法を学んだ。帰郷後は ...

写実と装飾性が一体となった新境地を確立した平福百穂

2021/7/6  

平福百穂「獅子図」六曲一双屏風(右隻) 左隻 平福穂庵の子として角館に生まれた平福百穂(1877-1933)は、父に絵の手ほどきを受けていたが、13歳の時に父が死去、その4年後に上京して川端玉章に師事 ...




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