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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2021/7/6
会津藩の世臣の子として生まれた塩田牛渚(1828-1866)は、少年の頃には小姓として会津藩主・松平容敬に仕えていたが、幼いころから絵を描くのが好きで、専門絵師になるため、藩士離脱を願い出て職を退き、 ...
2021/7/6
星暁村は、会津若松城下の城郭外、当時の下町にあたる融通寺町の商家に生まれた。文雅を好み、商売は好まず、幼くして遠藤香村の門に入り、30余年にわたって香村のもとで四条派の技法を学んだ。この間、仙台の松島 ...
2023/8/9
佐竹永海(1803-1874)は、会津藩の御用もつとめていた蒔絵師の家に生まれた。幼いころから地元の狩野派の絵師・萩原盤山に絵を学び、師から一字を得て「盤玉」と号した。その後、18歳、または20歳の頃 ...
2021/7/6
萩原盤山(1772-1846)は、会津若松城下甲賀町に住み、風変わりな行動の絵師として知られていた。路上で犬や鶏に出会うとじっと観察してその場を離れず、近所に火事があれば自らの危険も顧みず我を忘れて火 ...
2021/7/6
南大戸村香塩(現在の会津若松市)の農家に生まれた遠藤香村(1787-1864)は、幼いころから画を好み、会津藩絵師・田村観瀾に狩野派を学んだとされるが、経歴には不詳な点が多い。文化年間、江戸や京都、大 ...
2021/7/6
須賀川加治町の商家・恵比須屋に生まれた遠藤田一(1765-1834)は、幼いころから絵を好み、隣町で染物屋を営んでいた亜欧堂田善の実家に出入りし、田善や兄の永田崑山に絵の手ほどきを受けた。雅号の「田一 ...
2021/7/6
実用的銅版画を完成させ、洋風画家として名を成した亜欧堂田善の出現によって、須賀川地方を中心に、田善の影響を受けながら洋風画の画業を受け継ぐものたちが出てきた。これらの画系は、田善系あるいは須賀川派と呼 ...
2024/12/11
洋風画の開拓者・平賀源内(1728-1780)が秋田藩を訪れた際に、小田野直武(1749-1780)、佐竹曙山(1748-1785)に西洋画法を伝えて「秋田蘭画」が誕生した。その後を継いだのが司馬江漢 ...
2021/7/6
白河の郷土絵師・蒲生羅漢(1784-1866)は、天明4年に白河に生まれた。この年は松平定信が白河藩主についた年で、その後定信の強い影響下で白河の近世画壇は一気に花開いていく。定信は才覚があれば一介の ...
2021/7/6
白河藩絵師・星野文良(1798-1846)は、16歳の時に江戸詰めとなり、八丁堀の白河藩邸に住み、藩主・松平定信の命を受けて谷文晁の門に入った。享和3年には、近江石山寺に伝わる「石山寺縁起絵巻」の補完 ...
2021/7/6
白河城下に生まれた巨野泉祐(1774-1837)は、16歳の時に仕官し、白河藩校・立教館容儀師範の手付となり、はじめて絵の御用に携わった。寛政7年には松平定信に画才を認められ、谷文晁に入門。寛政9年に ...
2021/7/6
画僧・白雲の出生地は確かではないが、福島県の須賀川付近だと考えられている。須賀川十念寺で得度し、江戸に出て桜井雪館から漢画を学び、ついで京都で四条派を学んでいる。伊勢寂照寺経蔵の建設資金調達のため全国 ...
2024/12/11
江戸南画の大成者として知られる谷文晁は、第三代白河藩主・松平定信の生家である徳川御三卿・田安家の家臣だったが、寛政4年、31歳の時に幕府老中在任中の定信付きの家臣となった。以後、定信との親交は公私にわ ...
2021/7/6
寛政の改革で知られる松平定信(1758-1829)は、八代将軍徳川吉宗の孫として江戸城内の田安邸に生まれ、17歳で白河藩松平家の養子となった。天明3年には白河藩の家督を継いだが、天明7年に幕府老中首座 ...
2021/7/6
岡山藩の支藩・鴨方藩士の子として岡山城下に生まれた浦上玉堂(1745-1820)は、藩務のかたわら、儒学や医学・薬学といった学術、詩作や七絃琴といった芸術の分野にも関心を示し、特に七絃琴に関しては演奏 ...
2021/7/6
会津藩絵師の加藤遠澤(1643-1730)は、幼いころから雪舟の画風を志し、保科正之が会津藩主になった際には茶坊主となり、藩絵師の棚木良悦に絵の手ほどきを受けた。19歳で狩野探幽に入門し、30歳の頃に ...