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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

橋本雅邦に学び禅的作品を多く描いた加藤雪窓

2021/7/6  

加藤雪窓「漁夫図」本間美術館蔵 秋田県本庄市に生まれた加藤雪窓は、幼いころに父母を失い、11歳の時から祖父に育てられた。絵は10歳のころから小室怡々斎に手ほどきを受け、書を大越関石に学んだ。祖父は雪窓 ...

京都で活躍した庄内出身の南画家・服部五老と二柳

2021/7/6  

服部五老「青緑山水図」山形美術館蔵 鶴岡に生まれた服部五老は、京都で田能村直入に師事し、日本南画院の同人として活躍した。全盛時は、橋本関雪、竹内栖鳳らと並び称され、画の注文が殺到したという。豪壮な邸宅 ...

ドイツの化学者・ワグネルが開発した釉下彩陶器「旭焼」の絵付けをした狩野派の画家・荒木探令

2021/7/6  

荒木探令 左:地蔵菩薩、右:白衣漢音 現在の新庄市に生まれた荒木探令は、10歳の時に地元の絵師・菊川淵真に絵の手ほどきを受け、18歳で上京、鍛冶橋狩野家の狩野探美に師事して狩野派の画法を学び、26歳で ...

長崎南画を源流に持つ寒河江の日本画家

2021/7/6  

阿部曽岳「羅浮仙図」 明治期の寒河江地方の日本画家の源流をたどると、長崎南画の鉄翁祖門に行きつく画系がある。その始まりは、小泉の長泉寺十一世住職の土田鉄船(1812-1879)で、長崎まで行って鉄翁に ...

山形画人として最も多くの作品を残したとされる小松雲涯

2021/7/6  

小松雲涯「山水図」 中山町の農家に生まれた小松雲涯は、幼いころから画を好み、14、5歳で画家を目指すようになった。はじめ同郷の服部武陵に画技を学び、のちに江戸に出て春木南溟に師事した。明治20年、56 ...

日本画革新運動のなかで日本的南画の開拓に尽力した菅原白龍

2021/7/6  

菅原白龍「山水図」山形美術館蔵 現在の長井市に生まれた菅原白龍は、9歳頃から『北斎漫画』を見て独学し、11歳の時に初めて長沼月峰、渡辺玄渓について南画を学んだ。その後家出して江戸に行き熊坂適山に師事、 ...

山形・村山地方の文人墨客の中心的存在だった細谷風翁

2021/7/6  

(右隻) (左隻)細谷風翁「風竹風菊図屏風」山寺芭蕉記念館蔵 幕末から明治初期にかけて山形の文化の指導的役割を果たした細谷風翁は、山形市にあった真言宗宝幢寺の寺待宮城家に生まれ、十日町の医師・細谷玄琳 ...

山形の特産物「最上紅花」の流通の様子を描いた屏風で知られる青山永耕

2021/7/6  

(右隻) (左隻)青山永耕「紅花屏風」(山形県指定有形文化財)山寺芭蕉記念館蔵 六田村(現在の東根市)に生まれた青山永耕は、若くして上山藩御用絵師・丸野清耕に学び、のちに養子となって丸野永耕と称した。 ...

上山藩の御用絵師・丸野清耕

2021/7/6  

丸野清耕「山羊図」 丸野清耕は、村山郡楯岡町(現在の村山市)の最上山浄覚寺の三男として生まれ、幼いころから画を好み、のちに江戸に出て中橋狩野家の十四代狩野邦信の門に入り、狩野派の画法を学んだ。帰郷後は ...

江戸後期の尾花沢を代表する絵師・沼沢永朔

2021/7/6  

左:沼沢永朔「大舜図」絵馬(天童市若松寺観音堂蔵)右:狩野永清「桜花の図」屏風(右隻部分)(山形市わらべの里資料館蔵) 漆山村(現在の山形市)の設楽東玉斎とほぼ同時代に活躍した絵師に、尾花沢の沼沢永朔 ...

文化・文政期の漆山陣屋付き絵師・設楽東玉斎

2021/7/6  

設楽東玉斎、左から「人物図」、「山水図」、「花鳥図」 文化・文政期に活躍した山形・村山地方の絵師に、漆山村(現在の山形市)の設楽東玉斎がいる。東玉斎は、天童奈良沢の菱沼家に生まれ、のちに漆山の設楽家に ...

遠近法を用いて「湯殿山道中版画」を描いた狩野派の絵師・早坂義川

2021/7/6  

早坂義川「湯殿山道中一覧」より「八日町道者宿」左端の「湯殿山大権現」の幟が立っているのは誓願寺で、南側にならぶ店、町に出かける着流しの参詣客、客を招く女たちなど賑やかな町の様子が描かれている。 江戸初 ...

幕末の新庄・最上画壇を活気付かせた菊川淵斎

2021/7/6  

菊川淵斎「孔清公天帝に沓を捧げる図」(部分) 新庄藩の絵師のうち、記録に残っている最も古い絵師は、町田雲平である。雲平はもとは米沢藩士だったが、新庄藩二代藩主・戸沢正誠に絵師として召し抱えられ、数々の ...

庄内地方に鳥羽絵風の戯画を数多く残した土屋鴎涯

2021/7/6  

土屋鴎涯「楽しい庄内方言まんが-鳥羽画 磯釣之部 五-」より。磯釣りの様子をコミカルに描き、場面ごとに庄内弁で文章が添えてある。上図は「釣り場で」の章から「俺までひっぱるな」図中庄内弁の意味:なんとい ...

明治27年の酒田大地震に遭遇し「酒田大震真写図」を描いた恒川鶯谷

2021/7/6  

恒川鶯谷「酒田大震真写図」(6点のうち1点) 明治27年10月22日、山形県庄内地方は、当時東北未曾有と称された大地震に見舞われた。災害は庄内全地区に及び、死者718名を出す大惨事となり、最も被害が大 ...

庄内地方の南画家

2021/7/6  

左:伊東梅月「蓬莱之図」、右:佐藤梅宇「孔子像」 庄内藩では、藩の絵師のほかに絵をたしなむ藩士が多かった。石井子龍は、絵を同藩の氏家龍渓に学び、のちに藩医で書家でもあった重田道樹に学んだ。生涯酒を好ん ...

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