美人画・女性像

昭和期における大阪の女性画家の中心的存在・木谷千種

2025/6/13  

木谷千種「蛍美人」 木谷千種(1895-1947)は、大阪市北区堂島に生まれ、12歳で渡米し、シアトルで洋画を学んだ。2年後に帰国し、大阪府立清水谷高等女学校に通学し、深田直城に師事したが、同校卒業前 ...

養女となった岡本成薫ら島成園に学んだ女性画家

2025/6/11  

岡本成薫「山茶花」 若くして官展で活躍し全国的に名声を得た島成園(参考) のもとには、各地から弟子志願者が集まり、多くの女性が門下生として学んだ。成園が結婚し、夫の転勤に同行して画壇から離れてからは、 ...

大正期の大阪での女性画家ブームを牽引した島成園

2025/6/9  

島成園「無題」 島成園(1892-1970)は、大阪府堺市熊野町に生まれた。襖絵などを描いていた町絵師の父と画家で図案家でもあった兄のもとで画に親しみ、15歳頃から兄の仕事を補佐しながら独学で画を学ん ...

清雅な趣をたたえる現代的女性像を描いた中村貞以

2025/6/6  

中村貞以「シャム猫と青衣の女」 中村貞以(1900-1982)は、大阪市船場に生まれた。はじめ浮世絵師・二代長谷川貞信に画の手ほどきを受け、岡本景邦に運筆や写生を学び、大正8年からは北野恒富に師事した ...

大阪商業図案家協会を結成した高木葆翠

2025/6/4  

高木葆翠「サッポロビール」ポスター 高木葆翠(1894-1947)は、福岡県に生まれ、実家が染物屋を営んでいたことから、幼いころから日本画に親しみ、のちに油絵に興味を持ち、19歳で上京して岡田三郎助に ...

にこやかな中年婦人を描き人気を博した松田富喬

2025/6/2  

松田富喬「朗らかな酔 飲むなら焼酎」ポスター松田富喬「サッポルビール」ポスター 松田富喬(不明-不明)は、北野恒富に師事し日本画を学んだ。日本画家としては大成しなかったが、師の恒富がポスター分野で人気 ...

恒富風美人画ポスターの後継者と目された樋口富麻呂

2025/5/30  

左:北野恒富「キンシ正宗 堀野醸」ポスター右:樋口富麻呂「サクラビール」ポスター 北野恒富(参考)は、大阪の日本画壇の中心人物として活躍する一方で、ポスター制作にも積極的に携わり、美人画ポスター画家と ...

北野恒富門下の「雪月花星」

2025/5/28  

四夷星乃「蛍美人図」 北野恒富(参考)が大正3年に設立した画塾「白耀社」は、大阪の若手日本画家の研鑽の場として大きな機能を果たした。当時としては珍しく男女共学で、リベラルな雰囲気が魅力で女性会員も多く ...

大阪の人物画の開花に中心的役割を果たした北野恒富

2025/5/26  

北野恒富「鏡の前」 明治36年、大阪で第5回内国勧業博覧会が開催されると、多数展示された東京の画家たちの作品に刺激され、大阪の画家たちの間でも新しい表現を求める活動が盛んになっていった。その中心的な役 ...

関西の都市下層に生きる女性を描いた鳥居道枝

2025/5/21  

鳥居道枝「燈芯」 鳥居道枝(1902?-1930)は、陸軍技師・鳥居榮の長女として東京に生まれ、父の赴任先の大阪で少女期を過ごした。大阪府立清水谷高等女学校を卒業後、岡本大更に師事し、両親の全面的理解 ...

独学で学び美人画を得意とした岡本大更

2025/5/19  

岡本大更・松村梅叟の合作「金魚」屏風の左側を大更、右側を梅叟が描き、別々の署名がなされている。 岡本大更(1879-1945)は、三重県名張郡滝之原村に生まれ、幼いころ一家で東京に出た。幼少期から画才 ...

蔀関月に学び風俗人物画を得意とした丹羽桃渓

2024/12/2  

丹羽桃渓「住吉汐干狩図(玉東・関玉合筆)」 丹羽桃渓(1760-1822)は、蔀関月に画を学び、風俗人物画を得意とした。また、版刻の精細な挿絵も多く手掛けた。享和2年版の『浪華なまり』には流行画人の一 ...

作風から月岡雪鼎の門人と推測される稲垣つる女

2024/12/11  

稲垣つる女「人形遣図」東京国立博物館蔵 稲垣つる女(不明-不明)は、肉筆美人画の作例を残す浮世絵師で、明和年間に大坂で活動したことが判明している。伝記が残っておらず経歴はまったく不明だが、その画風から ...

月岡雪鼎に学び肉筆美人画を得意とした桂宗信

2024/11/18  

桂宗信「梅下美人図」大阪市立博物館蔵 桂宗信(1735-1790)は、月岡雪鼎の門に学び、肉筆美人画を得意とした。また、版刻画も手掛け、『狂歌五題集』『絵本三国志』『狂歌両節東街道』などが残っている。 ...

近世大坂の風俗画の始祖とされる月岡雪鼎

2024/11/13  

月岡雪鼎「美人鑑桜之図」 近世上方の風俗画は、江戸の鈴木春信のような存在がなかったこともあって、錦絵の流行は遅れるが、それに代わるように月岡派の肉筆風俗画や版本の挿絵が画壇や出版界に重きをなした。 月 ...

志賀直哉『淋しき生涯』のモデルとなった小見寺八山

2024/7/7  

小見寺八山「NUE」奈良県立美術館蔵 大正14年、京都から奈良に住まいを移した小説家の志賀直哉は、先に奈良に移住していた足立源一郎のアトリエ横に、昭和4年、数寄屋造の家を新築した。志賀の奈良への移住は ...




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