
俵屋宗達「牛図」京都・頂妙寺
琳派の祖として知られる俵屋宗達(不明-不明)は、桃山末期から江戸初期に活躍したことが知られるが、その詳細な伝記は明らかではなく、生没年も分かっていない。断片的な情報をつなぎ合わせると、京都の町衆の家に生まれ、やがて「俵屋」の屋号で絵屋を営んだと思われる。
烏丸光広、千少庵、井関妙持ら公家、文化人との交友があったことが確認されており、とくに本阿弥光悦とは金銀泥絵や金銀泥下絵和歌巻の制作を通して親密な交流があったと想像されている。
豊麗な彩色画だけでなく、水墨画にも数多くの傑作を残しており、金、銀、墨など素材に対する感覚が鋭く、独特の没骨法である「たらし込み」にみるように、素材の可能性を極限まで追求しようとする姿勢がみえる。
掲載の「牛図」は、その「たらし込み」を活かした作例で、牛のたくましい大きさや重さ、力みなぎる筋肉の張りや隆起まで感じられる表現となっており、宗達画のなかでも最も成功した牛図といえる。
俵屋宗達(不明-不明)たわらや・そうたつ
→加賀藩主・前田利常の御用絵師をつとめた俵屋宗雪
京都(78)-画人伝・INDEX
文献:日本絵画名作101選、近世やまと絵50選、日本の美術14 桃山の障壁画







