画家略歴

茨城(10)-ネット検索で出てこない画家

三好元一 みよし・げんいち
寛政5年生まれ。水戸藩士。幼名は徳太郎。公務の余暇に画を酒井抱一の門に学び、のちに尾形光琳派の花鳥を研究した。天保14年、51歳で死去した。

三浦呉舟 みうら・ごしゅう
水戸の人。早くから江戸に出て椿椿山に学び、花鳥をよくした。慶応年中頃死去。

三輪雪溪 みわ・せっけい
下館藩士。名は才次郎。竹内南圭に学び、花鳥をよくした。明治初年頃死去。

三宅拈華 みやけ・ねいか
龍ヶ崎の人。はじめ蘭台と号し、のちに拈華とした。渡辺小華の門人で花鳥を得意とした。龍ヶ崎から江戸崎あたりに作品が残っている。昭和2年死去。

皆川晩霞 みながわ・ばんか
明治25年生まれ。茨城の人。名は麓。田崎草雲に南宗画を学んだ。

村岡岳民 むらおか・がくみん
水戸の人。名は粛。萩谷☆喬(☆は「僊」からにんべんをとる)の弟で、村岡氏の養子となる。画を兄に学び、花鳥人物を得意とした。じ

森三樹 もり・さんじゅ
新治郡石岡町の人。名は昭治。山水を得意とした。明治初年に官吏となり、青森県で明治43年頃死去した。

山田遷民 やまだ・せんみん
水戸宮下の人。通称は政之助。萩谷☆喬(☆は「僊」からにんべんをとる)の門人で、花鳥人物を得意とした。明治初年頃死去。

谷島関水 やじま・かんすい
真壁郡養蚕村成田の人。菊池江外の門人。山水を得意とした。明治22年死去。

山田芝遷 やまだ・しせん
明治年間の水戸の人。名は忠文。早くから東京に出て小坂芝田の門に入り南画を学んだ。

横田一峰 よこた・いっぽう
明治14年生まれ。名は佐雄。医師を志して上京するが、医師にならずに画家となり、帰郷して画家に専念した。昭和10年死去。

横山秀暉 よこやま・しゅうき
明治33年生まれ。石塚町の人。名は徳之介。五島耕畝に師事して花鳥を学び、各地の寺院を訪ね寺院装飾を研究、文部省の嘱託をうけ社寺装飾を業とし、春衛と改めた。戦後郷里に帰り仕事を続けた。昭和55年、81歳で死去した。

六左衛門 ろくざえもん
永正元年生まれ。常陸国に住み、兄雪村の法を学んだ。

渡辺雲溪 わたなべ・うんけい
水戸の人。名は進、通称は咲兵衛。松平雪山の門人で山水を得意とした。明治初年頃死去。

亘遷幽 わたり・せんゆう
文化7年生まれ。那珂郡大宮町若林の人。名は僖左衛門。萩谷☆喬(☆は「僊」からにんべんをとる)の門人。絵の傍ら検地の仕事もした。明治10年、68歳で死去した。

茨城(10)-ネット検索で出てこない画家

文献:茨城の古書画人名事典




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