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江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。



画人伝・栃木 洋画家 幻想画

人間の宿命的な業を描いた小山田二郎

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小山田二郎「ピエタ」

小山田二郎「ピエタ」

父の出張先の中国で生まれた小山田二郎(1904-1991)は、12歳の時から母方の祖母の郷里である栃木県大田原市で育った。幼いころから親戚の小堀鞆音に水彩を学び、中学卒業後には上京し、帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)図案科に入学した。しかし、入学後に図案科から西洋画科に転入したことから父から援助を絶たれ、中退を余儀なくされた。

美術学校中退後は独力で画家の道を切り開いていった。在学中に傾倒したシュルレアリスムが盛んだった独立美術協会や前衛的傾向の美術文化協会に出品し、戦後は、自由美術協会、日本アンデパンダン展に出品した。昭和27年に滝口修造の支持を得て、銀座タケミヤ画廊で個展を開催し注目され、昭和34年からは個展を中心に活動した。

小山田が一貫して描いたのは人間の宿命的な業だった。上記掲載の「ピエタ」は小山田の代表作で、伝統的な宗教画「ピエタ」に人間の愚行や絶望を重ねている。「ピエタ」とは、死んで十字架から降ろされたキリストを抱いて嘆く聖母マリアを描いた宗教画で、多くの絵画や彫刻で表現されている題材である。

通常は、嘆き悲しむ悲哀に満ちた聖母マリアと、奇跡の復活の可能性を秘めたキリストが描かれているが、小山田が描くキリストは半ば白骨化しており復活の兆しもなく、聖母マリアはその面影さえなく絶望に満ちている。人間の愚行は宗教さえも救うことができないという小山田の人間に対しての冷徹な姿勢がみえる。

小山田二郎「鳥女」

小山田二郎「鳥女」

小山田二郎(1904-1991)おやまだ・じろう
大正3年中国安東県(現在の遼寧省丹東市)生まれ。父の出張先の中国で生まれ、翌年から祖父母の住む東京に移り、12歳から母方の祖母の郷里である大田原で育った。幼いころから親戚の小堀鞆音に水彩を学び、大田原中学校(現在の県立大田原高校)卒業後、昭和9年に帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)図案科に入学した。入学後に図案科から西洋画科に転入したことから父から援助を絶たれたため同校を中退。独立美術協会展、美術文化協会展に出品した。昭和27年滝口修造の支持を得て、銀座タケミヤ画廊で個展を開催。昭和34年からは個展を中心に活動した。平成3年、77歳で死去した。

栃木(35)-ネット検索で出てこない画家

文献:生誕100年小山田二郎、栃木県歴史人物事典

 









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