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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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明治の女子美術教育に大きく貢献した武村耕靄

2019/7/16  

東京女子師範学校で絵画と英語を教え、明治の女子美術教育に貢献した武村耕靄は、仙台藩士・武村仁佐衛門の長女として江戸仙台藩邸に生まれた。母の留勢子は耕靄が6歳の時に没したため、直接指導を受けることはなか ...

近世最大の鳥類図譜『堀田禽譜』を編さんした堀田正敦

2021/7/6  

仙台藩六代藩主・伊達宗村の八男として仙台に生まれた堀田正敦は、近江の堅田藩主・堀田正富の養子となり、その後佐野に国替えとなり、佐野藩主をつとめた。また、幕府では若年寄を42年間つとめ、老中松平定信を補 ...

仙台藩士で俳人の遠藤曰人が描いた「ぼんぼこ祭図」

2021/7/6  

仙台の重要な祭礼のひとつに、陸奥国分寺に隣接する白山神社の「ぼんぼこ祭」がある。これは、秋の東照宮、大崎八幡宮の両大祭に拮抗する、春の城下の代表的祭礼で、伊達以前の代から継承されている伝統的行事である ...

菊田伊徳のラクダ図

2021/7/6  

江戸時代、ラクダはゾウとならんで見世物として絶大な人気を博した動物だった。そのラクダが長崎に到着したのは文政4年(1821)のことだった。イラン産の雌雄2頭のラクダは、西国をまわってから、文政6年に大 ...

仙台四大画家のひとり・狩野派の菊田伊洲

2021/7/6  

菊田伊洲は、江戸出身の画家・武田竹亭の子として仙台に生まれ、幼いころから画才を発揮し、時期は不明だが、仙台藩御用絵師の家系・菊田東雨の養子となった。藩絵師の後継者となった伊洲は、前例にならい江戸に出て ...

仙台四大画家のひとり・南画の菅井梅関

2021/7/6  

仙台城下に生まれた菅井梅関は、早くから画才を発揮し、長じて仙台来訪中の画家・根本常南に師事して本格的に画の修業を始めた。その後は、家業を弟にまかせて、瑞鳳寺の僧・南山古梁をめぐる文化サークルのなかで成 ...

仙台四大画家のひとり・南蘋派の小池曲江

2021/7/6  

塩竃の旅籠屋に生まれた小池曲江は、はじめ独学に近いかたちで絵の道に入り、20代前半に江戸に出て、長崎出身の南蘋派の画家・松林瑤江に師事した。師の晩年まで江戸で修学を続け、師の没後は郷里に戻り、さらに南 ...

仙台四大画家のひとり・四条派の東東洋

2021/7/6  

江戸後期に活躍した仙台地方出身の画家のうち、東東洋、小池曲江、菅井梅関、菊田伊洲の4人は、仙台四大画家と称された。これは、明治時代に仙台に在任した裁判官で、南画家としても知られる川村雨谷の命名によるも ...

仙台藩御用絵師・菊田栄羽とその画系

2021/7/6  

菊田家は、二代藩主忠宗の時代に東照宮造営に参画した絵師・菊田喜膳に始まると推測されているが、家系がはっきりしてくるのは次代の栄喜のころからである。そして、栄喜の養子・栄羽の代になって菊田家の活躍がはじ ...

仙台藩御用絵師・荒川如慶とその画系

2021/7/6  

仙台藩御用絵師をつとめた家系のうち、江戸中期、後期において活躍をみせるのは、荒川家と菊田家で、両家は藩御用絵師としての家系を幕末まで維持した。 荒川家は、仙台藩五代藩主・吉村の時に御用絵師として仕えた ...

浮世絵師としても注目される仙台藩の奥女中・忠岡三千子

2021/7/6  

本格的な画技を持つ女性浮世絵師として注目される忠岡三千子は、京都に生まれ、七代藩主・伊達重村の夫人・近衛氏年子(惇姫)の侍女として仙台を訪れ奥女中となった。生没年はおろか墓所さえもはっきりしないが、惇 ...

書画をよくした歴代仙台藩主

2021/7/6  

歴代の仙台藩主は、初代の伊達政宗をはじめ、文武両道にすぐれ、書画をよくした。特に三代綱宗、五代吉村は多くの絵画作品を残している。綱宗は、放蕩三昧だったため21歳で隠居させられ、その後の50余年を芸道に ...

仙台藩御用絵師・松原探梁の家系

2021/7/6  

仙台藩では、五代藩主・伊達吉村の時代から江戸の奥絵師・木挽町狩野家との連携を強め、藩御用絵師は代々同家に入門するしきたりとなっていた。江戸の藩御用絵師たちは、幕府とかかわりのある仕事や藩の大規模な仕事 ...

仙台藩御用絵師から学者に転身した佐久間洞巌

2021/7/6  

仙台藩御用絵師を代々つとめていた佐久間家の四代目・佐久間洞巌は、元禄4年1月に仙台城二の丸の奥方造営に参加し、御用絵師として順調なスタートを切ったかにみえたが、前年に従者を無断で城内に遣わし絵を描かせ ...

仙台藩最初の御用絵師・佐久間左京

2021/7/6  

仙台藩国元の御用絵師は、記録によると「手前絵師」と称されており、その最初の絵師が狩野左京である。左京は、京都の狩野派のひとりとして活躍していた青年時代に仙台へ招聘され、藩最初の御用絵師となった。 仙台 ...

無音の風景・松本竣介

2021/7/6  

松本竣介(1911-1948)は東京に生まれ、少年時代を岩手県盛岡で過ごした。中学入学の直前に激しい頭痛に見舞われ、その影響で聴覚を失い、この頃から画家を志すようになった。17歳で中学を中退して上京、 ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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