UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。

「狩野派」 一覧

長府藩の粋な御用絵師・度会文流斎と笹山家

2016/10/10   -画人伝・山口, 狩野派

近世の周防・長門国では、強固な流派体制を誇った雲谷派が幕末まで続いたが、狩野派も各藩で御用絵師をつとめ、多くの絵師を輩出している。長府藩においては、狩野芳崖の父である狩野晴皐、のちに明治の教育者として ...

福山藩の狩野派、片山墨随斎守春・索準斎守規父子

幕府御用絵師の狩野派は、福山藩にも早くからもたらされ、明和・天明の頃に土屋索進斎(不明-不明)が出ている。索進斎は、福山城下深津町鉄屋に生まれ、京都に出て狩野派の鶴沢探鯨・探索に学び、法橋に叙せられた ...

広島藩の狩野派・山野峻峰斎

2016/08/18   -画人伝・広島, 狩野派

江戸時代も半ばを過ぎると、京都や江戸の画家が藩の御用絵師となって地方に召抱えられるようになり、広島藩においても雲谷派から幕府御用絵師の狩野派へと主流が移っていった。広島藩の狩野派としては、江戸で狩野探 ...

浮世絵師から津山藩御用絵師になった鍬形蕙斎

江戸の畳職人の家に生まれた鍬形蕙斎(1764-1824)は、浮世絵北尾派の祖・北尾重政の門に入り、17歳の時から北尾政美の名で浮世絵師として活躍していたが、31歳の時に美作国津山藩松平家に召し抱えられ ...

幕末明治の狩野派、狩野永朝と日置雲外

幕末から明治にかけて狩野派の系譜を継承した岡山の画家としては、狩野永朝(1831-1900)と日置雲外(1829-1918)がいる。狩野永朝は、京狩野九代狩野永岳の養子で、弘化年間に邑久郡虫明を訪れ、 ...

美作津山藩の初代御用絵師・狩野洞学

美作津山藩松平家においても御用絵師は狩野派の門流だった。津山狩野家の祖とされる狩野洞学(不明-1743)は、延宝5年、津山藩松平宣富に江戸で召し出され、津山に転居、翌年には城絵図の作成などを命じられて ...

備前岡山藩の狩野派

備前岡山藩の御用絵師は、狩野三徳、狩野自得、長谷川常時の狩野派三家が代々つとめていたされるが、狩野守則、長谷川常時、長谷川常宇らの作品が少数残っているのが確認される程度で、伝わる資料も少ない。それに対 ...

室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

高松藩の狩野派、元祖・狩野常眞と高松藩御用絵師の系譜

江戸時代は幕府の御用絵師に狩野派が登用されていたため、全国的に狩野派の絵師を召し抱える藩が多く、高松藩においても二代藩主松平頼常の頃、もしくは初代頼重の終わり頃に、狩野派の絵師・狩野常眞(不明-169 ...

狩野派唯一の「村狩野」・今村道之進

2016/03/25   -画人伝・愛媛, 狩野派

文化文政の頃、東予一帯で活躍した狩野派の画人に今村道之進(1761-1830)がいる。道之進は、宝暦11年宇摩郡中曽根村に生まれ、21歳の時に京都に出て、狩野探幽の流れを汲む京都鶴沢派に学び、27歳で ...

Copyright© UAG美術家研究所 , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.