狩野派

久隅守景の子として生まれ狩野探幽に師事するが吉原通いが過ぎて破門され佐渡に島流しとなった狩野胖幽

2022/3/7  

狩野胖幽「鷹猫図屏風」(左)佐渡市立佐渡博物館蔵 狩野胖幽「鷹猫図屏風」(右)佐渡市立佐渡博物館蔵 狩野胖幽(1649-1730)は、本名を久隅彦十郎といい、狩野探幽門下の四天王のひとり・久隅守景の子 ...

江戸中期の越佐画壇を主導した五十嵐浚明

2022/3/2  

五十嵐浚明「商山四皓・虎渓三笑図」十輪寺蔵 五十嵐浚明(1700-1781)は、新潟町(現在の新潟市)の商家に生まれた。幼いころから画才を発揮し、20代後半までは家業を手伝いながら暇をみつけては画を描 ...

松代藩御用絵師・大島芳暁斎と大島家三代

2021/8/23  

左:大島芳暁斎「黄石公図」、右:大島芳暁斎「張良図」 三代にわたって松代藩の絵師をつとめた大島家の初代・大島芳雲斎(1766-1840)は、天明年間に江戸に出て木挽町狩野家に入門した。この時期は、松代 ...

松代藩御用絵師・三村晴山

2021/8/20  

三村晴山「養老の滝」 松代藩に任えた絵師として記録上最も早く登場するのは、三村自閑斎(不明-不明)である。自閑斎は、一郎平と名乗り、藩評定所の絵図書をつとめていたとされ、現在残る作品も絵図に類するもの ...

信州小県郡で「田舎探幽」と呼ばれた秦燕恪

2021/8/18  

秦燕恪「異国人狩猟図」 秦燕恪(1732-1799)は、小県郡和田村(現在の小県郡長和町)に生まれ、はじめは狩野玉燕の作風を慕って私淑したが、のちに江戸に出て木挽町狩野家六代目の狩野栄川院典信の門に入 ...

画才をねたまれ毒殺されたと伝わる狩野永琳

2021/8/16  

狩野永琳「四季花鳥図」龍光院蔵 狩野永琳(1767-1808)は、信濃国小県郡西前山村(現在の上田市西前山)に農家の二男として生まれた。経歴は不明な点が多く、作品も数点しか確認されていない。少年の頃は ...

上田藩御用絵師・狩野永翁

2021/8/14  

狩野永翁「四季生花図」 上田藩御用絵師をつとめた狩野永翁(1731-1805)は、実名を勝信といい、生まれは奈須氏だった。奈須氏は絵師の家系で、代々江戸の中橋狩野家の門人となって狩野派の技法を学んだ。 ...

安曇野における狩野派の先覚・狩野梅二

2021/8/12  

狩野梅二「故事人物図」 信州安曇野に狩野派の絵師が登場するのは、江戸中期に入って宝永年間のことである。穂高町だけでも十指を数える絵師が記録に残っており、そのなかでも最も年代が古いのが狩野梅二(1704 ...

狩野派の柳沢吉里と南蘋派の柳沢伊信

2021/7/5  

柳沢吉里「武田二十四将図」柳沢文庫蔵中央上部に武田信玄、その下に信玄の主要な家臣を描いている。 柳沢吉保は、宝永6(1709)年に将軍綱吉が没すると、家督を子の吉里に譲り、以後は江戸駒込の六義園で隠居 ...

狩野派の絵をよくした佐野藩主・堀田正衡

2021/7/6  

堀田正衡「山水図」栃木県立博物館蔵 下野の佐野藩六代藩主・堀田正敦(1758-1832)は、仙台藩主・伊達宗村の八男として生まれ、近江の堅田藩主・堀田正富の養子となり、天明6年に堅田藩主となった。文政 ...




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