群像

ニューヨークで食器デザインと油彩を手がけた古田土雅堂

2020/10/5  

古田土雅堂「地下鉄の雑踏」 栃木県芳賀郡中川村(現在の茂木町)に生まれた古田土雅堂(1880-1954)は、上京して東京美術学校日本画科に学び、卒業して間もなくアメリカに渡った。シカゴで働きながら美術 ...

青木繁と福田たね

2020/9/24  

青木繁「海の幸」重文(部分)漁師たちの行列のなかで、中央やや右のこちらを向く白い顔は、恋人・福田たねを描いたものとされている。青木繁の生涯と芸術において福田たねの存在の大きさを象徴している。 明治画壇 ...

ブルースの女王・淡谷のり子を専属モデルにしたことでも知られる田口省吾

2019/6/19  

田口省吾「見世物」 田口省吾(1897-1943)は、明治30年東京文京区本郷に生まれた。父の田口掬汀は、秋田県角館出身の小説家で、美術雑誌「中央美術」を創刊し、美術評論も手掛けていた。省吾は、美術家 ...

激動の1930年代を駆けぬけた大沼かねよ

2020/3/6  

大沼かねよ「野良」 大沼かねよは、明治38年に宮城県栗原郡岩ケ崎町(現在の栗原市)に生まれ、仙台の女子師範学校を卒業後、東京女子高等師範学校図画専修科を経て、昭和3年に岩手県立水沢高等女学校教諭となり ...

中野和高と大正・昭和期の宮城の洋画家

2020/3/6  

中野和高「少憩」 大正期に入ると、青山勤らが結成した「北国洋画会」などの洋画グループや、菱沼美仙が創設した「仙台洋画研究所」など、洋画研究の集まりがみられるようになった。菱沼は、同研究所で後進の指導を ...

資財を投じて盛岡橋本美術館を建設した橋本八百二

2019/7/17  

橋本八百二「交代時間」 大正期に美術団体の活動と並んで、岩手の美術普及に重要な役割を果たしたのは、大正7年から13年頃まで毎年開催されていた「岩手県芸術展覧会」だった。同展は、岩手の帝展とも呼ばれ、絵 ...

反戦画家の烙印を押され画壇から去った無頼派の画家・阿部合成

2019/7/17  

阿部合成「見送る人々」兵庫県立近代美術館蔵この作品は、出征兵の見送りを描いたもので、阿部が友人にあてた手紙によると「三十個ばかりの顔丈で構成しようと念願してゐる。熱狂した泥酔者、感動して嘆く青年、悲し ...

シーボルトのお抱え絵師・川原慶賀

2019/7/21  

川原慶賀「洋人絵画鑑賞図」 文政6年、オランダ東インド政庁の商館付医師として長崎出島に赴任したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)は、日本の門人に西洋医学などを教授するととも ...

長崎唐絵の奇才・河村若芝とその画系

2019/7/21  

河村若芝「群仙星祭図」 渡辺鶴洲と並び、逸然性融門下の双璧と謳われた河村若芝(1630-1707)は、師の奇狂な造形美をさらに増幅させた画風で、長崎唐絵の代表的な奇才と称されている。若芝は、肥前佐賀の ...

浪速の町絵師・菅楯彦

2019/8/27  

菅楯彦「春宵宜行」 鳥取に生まれた菅楯彦(1878-1963)は、幼くして父で日本画家の菅盛南とともに大阪に移住した。父の没後は特定の師にはつかず、諸派の画法を研究し、独自のスタイルを確立した。常に勉 ...

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