群像

欧州放浪を含めた15年間の沈黙ののち華々しい画壇への再登場を果たすが46歳で急逝した青山熊治

2024/2/16  

青山熊治「高原」兵庫県立美術館蔵 青山熊治(1886-1932)は、兵庫県朝来郡生野町(現在の朝来市)に生まれた。同じ生野出身の白滝幾之助、和田三造とともに「生野の三巨匠」と称されており、3人はいずれ ...

昭和初期のプロレタリア美術運動の流れのなかで労働者を描いて高い評価を得た堀田清治

2023/6/23  

堀田清治「餓」福井県立美術館蔵 堀田清治(1898-1984)は、福井市に生まれ、中学卒業後に上京し、太平洋美術研究所で高間惣七に師事した。大正13年の第1回展から槐樹社に出品し、昭和6年に同会が解散 ...

東京美術学校卒業後に帰郷し、明治・大正・昭和期の石川の日本画界で中心となって活躍した武藤直信

2023/1/25  

武藤直信「楽」東京藝術大学蔵 武藤直信(1885-1971)は、石川県立工業学校図案絵画科を卒業後、東京美術学校日本画科に進み、郷土出身の島田佳矣に師事した。師の島田佳矣は、明治22年の東京美術学校開 ...

戦前を中心に京都画壇で活躍した冬木清

2022/9/22  

冬木清「勤労奉仕」氷見市立博物館蔵 冬木清(1903-1984)は、富山県氷見郡氷見町(現在の氷見市)に生まれた。富山県立工芸学校に入学したが、授業が意に沿わず2学年途中で中退し、17歳の時に京都に出 ...

新潟で美術教師を長年つとめ青空先生と呼ばれた三浦文治

2022/6/15  

三浦文治「浜辺群像」(部分) 新潟県北蒲原郡水原町(現在の阿賀野市)に生まれた三浦文治(1906-1994)は、大正15年に上京して東京美術学校日本画科に入学した。同期には、東山魁夷、橋本明治、加藤栄 ...

帝展に対抗して会期を合わせて美術展を開催し、実験的な日本画に挑んだ尾竹竹坡

2022/5/2  

左:尾竹竹坡「天下廻り持」東京国立近代美術館蔵右:尾竹竹坡「失題」東京国立近代美術館蔵 新潟市に生まれた尾竹竹坡(1878-1936)は、4歳で笹田雲石に師事して南画を学び、13歳の時に、兄の越堂を頼 ...

官展を離れ第一美術協会の発展に寄与した神津港人

2022/2/7  

神津港人「凩(こがらし)」 神津港人(1889-1978)は、北佐久郡志賀村(現在の佐久市)に生まれた。16歳の時に、小諸義塾を開いていた丸山晩霞のもとで半年間指導を受け、その後上京して東京美術学校西 ...

人間とは何かを一貫して問い続けた鶴岡政男

2021/7/5  

鶴岡政男「重い手」東京都現代美術館蔵 鶴岡政男(1907-1979)は、高崎市砂賀町の建築金物製造を営む家に生まれた。親の転居に伴って兵庫、東京、高崎を転々としていたが、小学校5年生の時から東京で暮ら ...

日本にシュルレアリスムを紹介した福沢一郎

2021/7/5  

福沢一郎「敗戦群像」群馬県立近代美術館蔵 福沢一郎(1898-1992)は、明治31年、群馬県北甘楽郡富岡町(現在の富岡市)に生まれた。旧制富岡中学校を経て、仙台の旧制第二高等学校英法科を卒業、大正7 ...

ニューヨークで食器デザインと油彩を手がけた古田土雅堂

2021/7/6  

古田土雅堂「地下鉄の雑踏」 栃木県芳賀郡中川村(現在の茂木町)に生まれた古田土雅堂(1880-1954)は、上京して東京美術学校日本画科に学び、卒業して間もなくアメリカに渡った。シカゴで働きながら美術 ...




© 2024 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5